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嫉妬の外へ、しなやかに。(2020年12月1日(火))


月が変わる初日が、なぜかいつも好きです。今朝は温泉あがりにいつもの喫茶店まで歩く道すがら雪が降ってきて、今はこうしてコーヒーを飲みながら、窓の外の雪を見ています。

noteで #しいたけ占い  が見られるのも、うれしさの一つの理由かもしれないし、朝温泉に行く前に、昨日の自分からもらった宿題「さみしさの哲学」について少し考えて作文をしたからかもしれません。こうして作文をすることで、今後の人生を支える軸を作れそうだなと(しいたけ占いでは「軸」という書き方はしていなかったけれど、なんかそういう言葉を自分なりに読みとって)、そんなことを思えたからかもしれません。

朝考えた「さみしさの哲学」は、次のようなことでした。

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さみしさは、「嫉妬・羨望システム」に巻き込まれた時に襲ってくる。「嫉妬・羨望システム」は、「他人との差」をわかりやすく煽り立てる何かしらによって生み出される。

例えば、「私は友人たちとディナーをしているの」と満面の笑みを浮かべてみんなと撮った写真をSNSにアップする人に対して、あるいはウキウキしながら「○○さんは神ですよね」とSNS発信する人に対して、「私のことは何も見てくれないくせに」と思う恥ずかしい自分が生まれてしまうことだって、「ちやほやする/される」人たちと「誰にも気づいてもらえない」自分との圧倒的な落差を、自分の眼前に、その心の準備もないままに見せつけられるからだ。

かつての私は、ここから間違って、「しからば気づいてもらうにはどうしたらいいか」と考えてしまっていた。でも、そうじゃないのだ。「気づいてもらおう」ともがけばもがくほど、「嫉妬・羨望システム」に絡め取られてしまうのだ。

さみしさを塗りこめるのではなく、「うん、さみしいのだね」と思いながら、さっと静かに、その場から距離を離すこと。それが大事なのだ。

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