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私の「感謝と養生」鍛錬日記

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古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』を読み終えた、2021.5.6以降の日記を、決意とともに。
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あそべるようになろう。(2021年7月9日(金))

あそべるようになろう。(2021年7月9日(金))

ほぼ日のこちらのコンテンツの中で糸井さんが、「努力すれば能力が得られて、能力によって出世ができて豊かになれるっていう幻想が激しくなりすぎちゃった」「意味のあるもの、役に立つもの、利益のあるもの、みたいな今までの価値観が整理されすぎて、そっち側に行きすぎたんじゃないかな」などとおっしゃっていて、まさにそういうしんどい生活をしてきた私は、「そうなんだよなぁ!」と首を縦に振りながらこれを読んだのでした。

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粋に、おもしろく。(2021年7月8日(木))

粋に、おもしろく。(2021年7月8日(木))

昨晩は「七夕の夜」。ちょうど『ほぼ日の學校』で土楽の七代目陶工、福森雅武さんのコンテンツを見ていた影響を受け、寝る前に「おもしろく生きられますように」とつぶやいて床に入ったのでした。

一夜明けて福森さんのコンテンツを見返しながら思い出しているのは、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」。いろいろな解釈はあるようですが、私は文

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仲間という幻想にとらわれず。(2021年7月7日(水))

仲間という幻想にとらわれず。(2021年7月7日(水))

私にとってのこれまでの「頑張り」って、自分と同じ場所にいると思い込んでいる人たちに対して、「なぜこの私を認めない?」と思ってしまう幼稚さのことだったんだ。
そんな自分の構造に気がついて、はっとしている朝です。

例えば、『ほぼ日の學校』の私にとっての居心地の良さは、①「他人(とりわけ場の主催者)の評価の目線」を集めようと己を誇示する場面がないこと、②自分のペースでコンテンツを見たり見なかったりする

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強くなるという芸術活動を、たのしみたい。(2021年7月6日(火))

強くなるという芸術活動を、たのしみたい。(2021年7月6日(火))

今朝の『ほぼ日の學校』は二重作拓也さん。
「相手がばんばんパンチを打ってくるガンガン蹴ってくる時に、自分の安全を確保できるというところが格闘技の本質」という言葉に「あー!」と感嘆し、

「小脳はAとBを比較して、ずれていると、タイムラグを持って修正してくれる性質を持つ」というお話から「失敗しやすい環境(安全が確保できる環境)を作ることで、いろんなチャレンジやトライ、おもしろいことができる」というお

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こだわるべきは、たのしいかどうかだけ。(2021年7月5日(月))

こだわるべきは、たのしいかどうかだけ。(2021年7月5日(月))

私が今朝見た『ほぼ日の學校』は、メイクアップアーティストの草場妙子さんのコンテンツだったのですが、なんだか草場さんからは、「いろいろ試して、たのしんでみたらいいですよ」と優しく言われたような気がしました。

「全く新しいことに挑戦して、プロになって生計を立ててやる!なんて思うと、すぐに道が閉ざされるなぁ」と思っていた私ですが、そもそも「生計」とか「プロ」ということに変にこだわっていたのかも。生きる

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私は自分の「好き」を自分でバカにしてきてしまったのかもしれない。(2021年7月4日(日))

私は自分の「好き」を自分でバカにしてきてしまったのかもしれない。(2021年7月4日(日))

私はつくづく緑が好きなのだなと思います。
生産的・効率的でなければと焦り、「お勉強」に特化して「男になるぞ」と必死だった若い頃も、それはそれで大切な自分だけれど、緑やコーヒーや喫茶店、編み物を愛するようになった自分が、今は本当にありがたい。

そして、この前の月曜日から始めている『ほぼ日の學校』での学習。昨日から今朝にかけて幡野広志さんに学んだのですが、「感情が動いた時に写真を撮ればいいだけ」「思

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「好きな言い方をする人、好きな言葉を使う人」のそばへ。(2021年7月3日(土))

「好きな言い方をする人、好きな言葉を使う人」のそばへ。(2021年7月3日(土))

いつも通り早起きした私は、今朝はいつもの温泉には行かず、電車に乗って遠方の美容院へと出かけることにしたのでした。

電車の中で、谷川俊太郎さんが「書く場合には文体というものが一番なんです。言われている意味ももちろん大事なんだけど、言い方というのが文体であって、文体にその作者の人間が表れる」「自分が本当にピンとくる好きな人を見つける」などとおっしゃっていたことを思い出したり、

瀬戸内寂聴さんが、「

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アートとはなにか。(2021年7月2日(金))

アートとはなにか。(2021年7月2日(金))

自分の身体(五感)を透過させながら、そのものをなぞる。そうやって、そのものを作った作者の「作った」体験を追体験した時に、なにか強い印象(よろこび)が自分に残る。それがアートだ。そんなことを、『ほぼ日の學校』アプリの三國万里子さんのコンテンツを見て、思ったのでした。

三國万里子さんは編み物作家で、私は今まさに三國さんの作品を編んでいるのですが、たしかに編んでいて「強いよろこび」を感じるのです。編み

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芋づる式に、人に聴く。(2021年7月1日(木))

芋づる式に、人に聴く。(2021年7月1日(木))

またもや月末の通信制限に引っかかった私のスマホが月をまたいでリセットされたので、今朝になってようやく、読みかけになっていた『ほぼ日の學校』アプリの、林真理子さんのコンテンツをようやく見ることができました。

「そうか、林真理子さんは書くのが猛烈に早いんだ」「恍惚として書いてらっしゃるんだ」「ドキュメンタリーを素材として仕入れて、そこから『もしこれがこうなったら』と考えていくことが物語を転がすという

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リズムとテンポ。(2021年6月30日(水))

リズムとテンポ。(2021年6月30日(水))

知人に薦められて読んでいる『不安の書』がおもしろくてしかたなく、そして、「私も書きたいことを書きたいようにそのまま書いていいのかもしれない」「誰のなんの役にも立たない、意味のわかるようなわからないようなことをそのまま書いていいのかもしれない」とうれしく思ってもいます。

「他人に読まれないものに価値はない」「読みたいものを書け」「お前の世界解釈はいらない」というのは全てその通りなのですが、そもそも

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「にわか」として学べるよろこび。(2021年6月29日(火))

「にわか」として学べるよろこび。(2021年6月29日(火))

ほぼ日の學校アプリが今の私にとてもフィットしていて、ありがたくて仕方ないのです。

人間が未熟な私の場合、「フィードバックし合うことで高品質の学びを」という場所にいると、「ちゃんと私を見て(私の考えを知って)評価して」という欲が果てしなくなって、苦しくなってしまうのです。あと「オンライン」だと、自分に暴言を吐いてくる人を事前に避けられず、心に深ーい傷を負ってしまう。

そんな私にとって、「自分の考

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優先順位第一位を見失わないように。(2021年6月28日(月))

優先順位第一位を見失わないように。(2021年6月28日(月))

私の役割ってシンプルに、私に与えられた自分の命(「御神体」と言っていい)を護り浄めることにあるわけで、その役割を外れ「私に運も縁も魅力もないために、私の登場が求められていない場」に固執する必要は全くない(そんなことをしなくても生きていける)のよねと心穏やかに思う今朝です。

休暇を取得した日の朝が気持ちよく晴れていることのありがたさ。「求められていない」ことの傷が癒えて、「つまり、私の居場所は、自

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進めない自分を否定するのではなく、別のことに時間が使えるのだと思えば。(2021年6月27日(日))

進めない自分を否定するのではなく、別のことに時間が使えるのだと思えば。(2021年6月27日(日))

家を出る前に、自分の嫌な自分を率直に書き起こしてから、外に出ていつもの温泉に入り、いつもの喫茶店でコーヒーを飲んでリラックスしながらぼんやりとその文章を読み直すと、「これは、その方向にいかない方が自分が伸びやかにいられるというシグナルだな」と捉えられるから不思議です。
自分を心地よい場所に置くって、大切だなぁ。

ちなみに今朝書いていたのはこんなことでした。

私は「話を聞いてもらえる」人に激しく

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「役に立とう」「貢献しよう」「この場に留まろう」とするのは、もうやめよう。(2021年6月26日(土))

「役に立とう」「貢献しよう」「この場に留まろう」とするのは、もうやめよう。(2021年6月26日(土))

自分が○○というニッチな世界の愛好家でもない限り、「○○の愛好家(だけ)にものすごくよろこばれる高品質なもの」をつくる仕事はやめたほうがいいと、とある方に教わったとする糸井重里さんの話。これをきいて、うわぁーと思った朝です。

私がずっとやってきたこと、志向してきたこと、そして「自分の今後の方向性はなんだろう」と考えた時にうっかり見ていた方向は、いずれもそれだったなぁと、何十年ものあいだうっかりし

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