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起業。

2023年は自分にとってこれまでの人生で最も大きなターニングポイントだったかもしれません。新卒以来社会人人生を捧げてきた製薬業界を離れ、新たに起業しました。
製薬業界は他の業界の比較して待遇も良く、かつ特殊な業界のため他業界に移ることも珍しいため、なぜこのような決断をしたのか多くの人に聞かれます。
今回はその背景や動機について述べてみたいと思います。

  1. 日本のサラリーマンの特殊性に気づいた
    まずはこれ。自分は2022年の後半からシンガポールのポジションに移籍しましたが、これは所謂"Assignment (出向)"ではなく、”Local Hiring(現地採用)"でした。前者は日本所属および待遇のまま海外赴任手当みたいなのが付与されますが、後者は完全に現地の従業員と同じ扱いで、待遇も現地の給与基準および通貨で支給されます。つまり自分の給与は日本ベースからシンガポールベースに変更になりました。そして目の当たりにしたのは、同じ職務階級でありながらシンガポール採用の方が圧倒的に給料が高いという現実です。最近では多くのニュースでも取り扱われるようになっていますが、国際的に見て日本の給与は停滞しており低い水準なのです。そして生活コストは高いものの、税金はシンガポールの方が圧倒的に安い。さらに加えて、日本では労働環境は決して楽ではありませんでした。会議の多さ、生産性の低さ、長時間労働…これらもシンガポールの方がはるかに優れていました。(これは会社にもよると思いますが)。
    つまり、財政的な面、および労働環境的な面両方でシンガポールの方が圧倒的に良いと気づいてしまい、日本で再び雇用されて従業員をやることにモチベーションが見出せなくなってしまいました。

  2. シンガポールで仕事の意義を見出せなくなった
    一方で、ではシンガポールでずっと勤務していたいかと言うと、そうもなりませんでした。自分は内資と外資の製薬両方、そして日本とシンガポールを経験しましたが、それにより、自分の残りのキャリアでどこまでを達成できるかがなんとなくイメージできるようになってしまいました。もちろんその中で目指せる最高のキャリアを追い求めることはとても尊いのですが、自分はそれにワクワクすることができませんでした。簡単に言えば、この領域に飽きてしまったのだと思います。つまり、財政的・労働環境的に日本で再度会社員をやる気にならない一方で、シンガポールで製薬業界のキャリアを追求する気にもなれなくなってしまったのです。

  3. シンガポールで多くの起業家の方々に出会った
    そんな中で新たな道を目指すきっかけをくれたのがシンガポールで出会った起業家の方々でした。シンガポールでは国籍問わず、多くの方々が自らの事業を営んでいます。ネットワーキングイベント等でこれらの方々と接する機会が増え、多くの刺激をいただくようになりました。起業家には事業の大小ありましたが、みなさんとにかく自分の人生を楽しんでらっしゃる印象が強かったです。何もないところから新たに事業を作ることはハイリスクですが、それを上回る魅力を感じるようになっていきました。特に自分にとっては、残りの人生を賭けるなら会社員よりもこっちではないかという思いが日増しに強くなっていったのです。

以上を主な理由として、自分は製薬業界の会社員という安定を捨てて起業することにしました。事業内容はまた別途書きますが、シンガポールに関わる仕事なので会社登記はシンガポールで行っています。ただ、家族が日本にいること、自分の場合は日本に住むことの素晴らしさを実感しているため、メインの所在地は日本にしています。(シンガポールには出張ベース。)

次回はまた起業について書いてみたいと思います。

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