書評:西野亮廣さん「夢と金」

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A2%E3%81%A8%E9%87%91-%E8%A5%BF%E9%87%8E-%E4%BA%AE%E5%BB%A3/dp/4344040503/ref=sr_1_1?adgrpid=146725791834&hvadid=651369253610&hvdev=c&hvlocphy=1009180&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=7103647396508359069&hvtargid=kwd-1929265823922&hydadcr=11017_13607511&jp-ad-ap=0&keywords=%E5%A4%A2%E3%81%A8%E9%87%91&qid=1682819676&sr=8-1

面白い、の一言に尽きる。正直言って芸人さんの書いた本とは思えない。というより、西野さんはもう芸人というカテゴリに括ってはいけないのだと思う。実業家だ。
「夢と金」はこの厳しい世界でどのように成功できるのか、真実をわかりやすく率直なメッセージで伝えてくれる。それは冒頭のまえがきに書かれている「お金が尽きると夢も尽きる。これが真実だ」という言葉にも代表される。日本の大人が触れたがらないが大切な話題にきちんと切り込んでおり、子供の教育に使って欲しいというメッセージにも頷ける。

本書籍ではビジネスはどのようにマネタイズされるのか、という部分の解説から始まっている。飛行機のクラス別シートや劇場のクラス別の席などを例に挙げ、高価格帯にクレームを入れるバカについて記載されている。これらのビジネスは高価格帯の商品があることで低価格商品の提供の可能になっているからだ。また、「プレミアム」と「ラグジュアリー」のマーケティング的な違いについて触れている。プレミアムはいわゆる競合優位的に優れていること。一方でラグジュアリーは競合がもはや存在しない中での特別な商品・体験だ。この違いは、プレミアムはいわゆる相対的価値なので顧客が値段を決める。一方でラグジュアリー製品は生産者側が値段を決める。そしてそれでも買う人がいる。
そのビジネスを成り立たせる式が[夢]= [認知度] – [普及度]だ。これはつまり、夢(ラグジュアリー)な製品を取り扱いたいのであれば、認知度をあげて普及度を抑える必要があるということになる。いくらその製品が素晴らしくとも認知度が低ければ単に「知る人ぞ知る」珍しい製品になるだけだ。一方、認知度が高くても普及度が高いとそれは希少性がなくラグジュアリーにはならない。つまり、いかに認知度を上げて、ただし普及度は制限するかがポイントだ。これがいわゆるフェラーリなどのビジネスモデルだ。
もう一つ言及されている大切なポイントは、すでにネットによる情報の平等性が生まれているなかで、様々な商品はすでにコモディティ化しており、差別化が難しいという点だ。大抵そういう場合は価格競争を強いられてジリ貧になっていく。ではどうすればいいのか?そこに「意味」を乗せるのだ。意味とはつまりその「人」が作っているあるいは提供しているという属人的な価値だ。「この人を応援したい」「この人の作ったものなら買いたい」というモチベーションを価格に乗せるのだ。これが多くのビジネスを続ける中で重要なことだ。
そうなると、今度は「人検索」つまり、応援してもらえるようにファンを増やすことが肝要となる。それを活用した仕組みがクラウドファンディングだ。著者の西野さんはクラウドファンディングを立ち上げ当初から活用し、多くのプロジェクトを成功に導いてきた。
そして今、西野さんは新たなラグジュアリーの商機をNFTに見出している。NFTはNon-fungible Tokenの略で既に一般的になりつつあるが、 「偽造不可な鑑定書・所有証明書付きのデジタルデータ」のことだ。ネットに出回っているデジタルデータの所有権を明確にすることができるのだ。著書の中では絵本作家の新たな収入源の可能性について触れられている。絵本の各ページのオーナー権をNFTとして販売することで、印税以外の収入を得ることができるようになる。これと似たような形で、デジタルデータの所有権はますます一般的になっていき、大きな価値がつくようになるだろう。

あとがきではドリームキラー、いわゆる色んな理由でやりたいことを否定する大人たちについて触れられている。こういう人たちは本当にいるし、自分がそうなっていないか常に注意しなくちゃいけない。
世の中は加速度的に進化している。新しいものに対して躊躇するのは人間の常だ。ただ、新しいイノベーションを早くから使える人が大きな成功を掴むことができるのも事実だ。実際西野さんはクラウドファンディングやNFTを早くから使いこなし新たなビジネスや成功を生み出してきた。そしてGPT-4など革新的なAIツールも生まれるなかで、それらを使いこなせる人とそうでない人の格差は広がる一方だ。
今、教育の現場でChat-GPTを許容するかどうかは大きな議論になっている。ただ、個人的な意見としては早いうちから使い慣れて、「どう使いこなすか」に慣れておいた方がいいと思っている。若い時に開いた差を歳をとってから埋めることは簡単ではないからだ。その前提を元に、自分の子供たちの教育も考えたいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?