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忘れていた「和顔施(わがんせ)」を思い出したエピソード

「和顔施」という言葉をご存じでしょうか。私は、瀬戸内寂聴さんのエッセイで知りました。

”仏教に「和顔施(わがんせ)」という言葉があります。相手に笑顔を施すことが徳になるという考え方です。ー中略ー  不幸は悲しい顔が好き、幸福は笑顔が大好きなんです。苦しい時ほど努めて、笑顔でいましょう!”(瀬戸内寂聴)

始めてこの言葉を知ったときは、「なるほど、確かに笑顔の人からは、歓迎されている、と感じるもんね。側にいてリラックスできる。ピリピリしていたり、陰気で無表情な感じの人には、自分も自然と警戒心を持ってしまう気がする。笑顔をこころがけよう」と腑に落ちたような気がしていたのですが、正直すぐに忘れていました。

数年前に転職し、以前よりも新しい人と出会う機会が増えたので、初対面で良い印象を与える努力をするようになりました。若い時には気づきませんでしたが、やはり、にこやかで、ハッキリわかりやすく話すことは大事です。自分も、初めて会う人が仏頂面であるよりは、にこやかでいてくださるほうが、好感を持ちやすいです。仕事自体がお互いにやりやすくなりますよね。

人と会う時に、にこやかな表情で応対する、というのはとても重要な姿勢だと思います。自分はそこを心掛けていたつもり、でした。

さて、2023年年末に、友人たちとオンライン飲み会をすることになりました。
その最中に、私はとても驚いたのです。

何に驚いたかというと……、ほかの誰かが話しているときには、ついその話者の映像に集中すると思うのですが、ふと、スクリーン上の自分の顔が目に入ったのです。するとどうでしょう!無表情だったのです!!
内心、「噓でしょ???」とショックを受けました。

自分としてはそんなつもりはありません。興味を持って、友人の話を聴いていました。しかし、画面上の自分は、そんなに楽しんでいるようには見えなかったので愕然としたわけです。それから、すぐに私は、笑顔に見えるように表情筋に力を入れました。まさに「笑顔をつくった」ということになりますが、そのくらいでちょうどいい、と感じました。スクリーン上の自分が、とても会話に興味を持っているように見えました。

そこで考えてみたところ、私は幼い頃から、
「人の話は真剣に真面目に聴くべし」と自分に課していたところがあります。

なぜそうなったかということなのですが、思うに、両親が不仲だったので家庭内がつねに暗めだったこと、そのため母親に笑顔がないことが多かったためではないか、という気がします。子どもは両親から多くを学ぶものです。私と話していたときの母親が常にシリアスな顔だったため、自然とその態度を鏡写しに吸収していたのかもしれません。

そんなことをつらつら思っているときに、不意に、湖の底から浮かび上がるように、「和顔施」という言葉が思い出されたのでした。

「そうだった、和顔施という言葉があったわ!!」
温かい表情一つで、相手の心を和ませ、喜びやリラックスを生み出せるならお安い御用ですよね!
つくった笑顔であっても、笑顔を浮かべているだけでその人自身のストレスが軽減されるというエビデンスもあるようですから。笑顔を絶やさないことのメリットは計り知れないと思いました。

これからは、これまで以上に、人と相対している時に笑顔を忘れないでいよう!と思った新春でした。










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