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実は不登校だった話

こんにちは、やよいです。

今回の記事はかなり暗めand結構ショッキングなので一応閲覧注意です🥲 こんなのぶっ込んで申し訳ない。。

ただ、この経験があってこそ今の自分があるって考えてるので、発信して誰かに勇気を与えられたり、今苦しんでいる誰かが生きる希望を少しでも持てるようになれれば本当に嬉しいことこの上ないので、すべて語る事にしました。

本当に特に日本の学校でこの児童・生徒の不登校問題は根深いものなので、私には何か直接できることがあるわけではないですが、元当事者として少しでも人数が減っていく事を願うばかりです。

まあ現実問題、「学校」というものにどうしても合わない子などもいますし、別に学べる形というものを作っていくことの方が近道なのかもしれませんね、、

実は私には学校に行けてなかった時期が過去にありました。

今はしっかりと完全復活していますが、当時は本当に崖っぷちだったのを覚えています。高校生だった時です。

当時は極普通の高校生活を過ごしていました。ただ、それまでに何も問題はなかったという訳ではなく、実はそれより過去に、いじめ、というほどではないかもしれませんが軽くからかわれたり弄ばれたりしたことはありました。いや、当時はそこそこしんどい思いはしていたので、いじめと言っていいかもしれません。やられた事といえば

・朝に悪口を書いた紙を積まれて置かれていた
・剣道の授業があった時に面を装備していたのですが、待機して座っている際に後ろからガッと掴まれ、紐を解かれてしまった
・当時付き合っていた恋人に関して嘘の情報をたくさん言われた

思い出せる限りではこんな感じです。私の通っていた高校はまあ自称進学校ではありましたが、東大合格者が同じ学年から3人、その他旧帝大合格者もそこそこの数出たので世間一般からするとそこまで偏差値が低いような所ではありません。中高一貫なのでその要素も関連してるかもしれませんが。
そんなとこでもこういうのは起こり得ます。私がかなり変わり者だからなんですよね、、今は精神的ダメージは比較的和らいではいますが、恐らくずっと忘れないだろうなとは予想しています。

笑って過ごして学校にも行ってはいましたが、正直かなり無理をしていて、心はボロボロだったのを覚えています。その後コロナが流行ったのがまあ救いで、家に籠る事ができるようになったので大分ゆっくりできました。

その経験もあって、少し他の人間が怖くなってました。今も完全には人のことを信頼できる状態ではなく、たまに他人に対して心を急に閉ざしたりしてしまうことがあります。疑い深くなりすぎたり、ずっと仲が良かった幼馴染もいましたが価値観や考え方がズレいってしまい、(これはまあ、自然なことなのかもしれませんが)次第に仲が悪くなりピシャッと絶交してしまった事もあります。今では少し後悔しています。

現在、友達も正直あまりいません。
普段喋る人といったらほんとに教授やTA, 数学を教えてもらえるチューターの上級生くらいなので彼ら、彼女らとはそこそこ?仲良しですが、一日のうちに誰とも喋らないなんて日もちょくちょくあります。

その出来事も勿論関係しているとは思いますが、高校2年の2学期頃、私は不登校になりました。
原因は色々な要素が絡み合ってます。前述した事が原因で人間という存在そのものを少し嫌いになってしまい、人間不信に陥りかけていたのと、私は先の事をかなり考えすぎてしまうタイプなので、遠い未来の事が不安になりすぎてしまったのが大きいです。このまま周りに流されて人生生きていいの?とか、自分のやりたい事って何?とか、漠然とした不安をずっと抱えてるうちにしんどくなってしまいました。
また他にも、私はかなり変わってる人間なのは自覚しているので、周りになかなか適合しづらかったのも原因の一つですね。この性格は昔からなので今更?って感じですが、ずっと抱いていたそこはかとない違和感を覚えていたのが限界を迎えたみたいです。

当時は本当に悲惨な状態で、明らかにどんどん風船が萎んだように元気がなくなっていったので、クラスの人にも様子が一転したのが分かったのか、担任に伝わったらしく、元気ないみたいだけど、大丈夫?と先生が声をかけてくださったりしました。
私は大丈夫だと応えていましたが、まあそんなはずもなく、、本当に自分でも意味わからないくらい一日の中で頻繁に泣いていたのを今でも覚えています。授業中にバレないように泣き、ヤバい時はトイレに駆け込んで泣いた後ぼーっと過ごしていたり、学校の帰りの電車でもずっと突っ伏して泣いており、生きるのが嫌だからこのままどこかに行ってしまいたいという思いで新快速で姫路まで行ってしまったこともあります。
駅員さんごめんなさい。
家ではイライラしすぎて椅子を壊してしまったり、お風呂にこもって3時間ほど出てこなかった事もありました。

身体にも不調がどんどん出てました。
まず、食欲がかなり減退し食事を3〜4日間くらいほとんど摂らず、部屋にもバリケードをセットしてよくこもるようになりました。
いくら親に扉を叩かれてもほとんど出てきませんでした。体重も激減したのを覚えてます。5kgは痩せたと思います。
また後に頻繁に吐き気がするようになったり、熱が出たり、朝に全然起きられなくなるような事が増え、学校には休む時もありましたが無理矢理遅刻してでも身体を動かして行ってたこともありました。
今考えるとこれが良くなかったのかなと思ってます。しっかり休んで早く復帰するべきでした。

とても普通に生活できるような状態じゃなかったため、周りに勧められ、病院に行くことにしました。
自律神経失調症だったようです。
心理検査もしてみたのですが、知能には問題ないが心理的には大分疲れていたようでした。
色々薬を出され、定期的に飲み始めました。

しかし一向に良くならず、どんどん生きる希望も失っていき、消えてしまいたいという欲求が強くなりました。
普段からどうやって死ぬのが1番楽かな…とかずっと考えていたり、ホームセンターに行って物色してみたり、当時の心理状況は今考えると大分異常ですが、当時の自分はそうやって考えるのが普通だと本気で思っていました。
異常だという事に気づいてなかったんです。

もう耐えられないと思った私は、深夜に書きかけの遺書だけ残して家を飛び出しました。とはいえ、本当に自発的に死のうとしていたかというと臆病な私にそんな勇気など到底ありませんでした。ただ、どこかへ行ってしまいたい。見つかりたくない。とだけ思って、とにかくあてもなく彷徨いつづけていました。当時の心情は死にたいというより、この世から消えてしまいたい、存在を前から無かったことにしたい。そんな感情がずっと渦巻いていたのです。結局、警察に見つかり、保護されました。見つかった瞬間、もうまともに喋れる状態では正直言ってなかったのですが、事情を少し知っていたのか、優しく車の中に入れてくださり、(比較的)落ち着いたタイミングで私が色々経緯を話しました。

私達警官は今まで色々な人を見てきたけど、君は全然しっかり喋れてるから絶対に大丈夫。そう言ってくださったのを覚えています。
その夜は流石に泣き疲れ、警察が家に入り親と何やら話しているのを横目にすぐに寝てしまいました。

これは高校3年になってしばらくした時に起こった事です。学年が変わって、通常登校はもう難しいだろうという事で、別室で登校させてもらうことになってました。医師からの診断が下りていれば入る事ができ、主にいじめられた、嫌がらせをされたりした子が入るようです。
そこでの勉強は主に自習になりますが、来さえすれば出席扱いになります。授業等にはもし行きたければ行くことも可能です。
メンタルケアがしっかりしている学校に通っていたのが救いだったみたいです。そこは良かったので、多少リラックスはできていましたが、やはり悩みや蟠りは依然として全く消えず、そのような行動に移そうとしてしまいました。

その後は虚無でしかありませんでした。YouTubeやGoogleで「死にたい」と検索したりしていたのは変わりませんでしたが、もはや何も感情がないような状態が結構続いていたんですね。
その状態の中でも、私がやめなかった事があります。勉強です。何でかは全く分かりませんがこれだけはそこそこモチベは保ててました。もちろん、100を出せていたかというとそんなことはなく、病んでいた時の方が多かったのはもちろんですが、別の事を考えられる唯一の時間でした。最初から勉強には何故かそこまで悪い影響は出ず(成績は若干落ちましたが)、高二の第3回の英検で1級の1次試験合格にまで辿り着けちゃったんです。その後、2次試験では普通に落とされましたが。笑

当時高3だったこともあり、周りも勉強モードだったのもありますがひたすらに別の事を考えようとして勉強には力を入れてました。虚無な期間(この時は夏休みでした。高3なので課題もほとんど出なかったです。)でゆっくりと休みつつ、やらなきゃいけない勉強をこなしてなるべく他の事を考えないように意識していました。
例の件の後、もう大学生の先輩の方(外国で知り合った日本人の方です)や何人かの同級生、カウンセラーにすごく支えられ、だんだん良くなっていったのです。
私は当時、自己肯定感が異常なほど低かったようです。(今も全然高くはないですが。笑)あなたは生きてるだけで偉い、しんどい思いしながらも立って歩いてるだけで偉い、別室でも学校行けて偉い、そんな優しい言葉をかけてもらい、癖としてどんな小さなことでも何か達成したら自分の事を認めてあげてみようとしたんです。
最初は何も変わらないよなと思っていましたが、そうして過ごしてるうちに、気がついたら卒業まで辿り着けていました。別室だったのは最後まで変わりませんでしたが、定期試験もそこで受けられるので、卒業には全然問題なかったようです。
保健室の先生も優しく対応してくださったり、学校側が全力でサポートしてくれたので、何とかこぎつけることができたのです。

今思えば本当に生きるか死ぬかの崖っぷちでしたが、周りのサポートが手厚かったおかげで何とか生き延びる事ができました。

もちろん、当時は本当にいつかは死のう、と思っていたので大学進学なんてほぼ諦めかけていました。大阪の某大学を志望していた時期もありましたが、当時は完全にどうでもよくなっていました。
良くなるにつれ、どうしよっかなーって程度には考えられる余裕が出てきたんですね。
めったに皆がしない事、してみようかなと急に思い立つようになりました。私は強い人間になりたい、どこにいようが1人で立派に生きていられる人間になろう、と思える程度には復活できていました。
親に話し了承を得たのでざっと調べて、今いる大学に成績表を提出し、数学の試験を受け、(本来はIELTSなどの英語力の試験以外は受けなくて大丈夫なのですが、アメリカの大学の数学の授業をオンラインで受講し、それがカナダでも使える事を確認し、試験を受けて結果を出しました。高校の成績、若干落ちてたので。)無事受け入れられたので学生ビザの手続きまで全て1人でして渡航しました。
そうして私は今、外国で1人で生きています。来たばかりの時は本当に環境の変化に慣れるのがしんどくてメンタルがブレブレになる事もありましたが、これがまた大学のサポートが手厚く、だんだん慣れていきました。
勉強が習慣になってるのは嬉しい事で、今も続けています。これは闇時代の自分に感謝ですね。笑最近、ヨビノリ大先生の授業見ながらする数学の勉強が楽しいのでダブルで専攻しよっかなーどうしよっかなーって悩んでる所です。笑
まあ、大学数学ほんとに難しいので相当な覚悟は要りますが…笑

私が復活できたのは本当に、ほとんど周りの助けのお陰です。運が良かったみたいです。
次は私が、いつか辛い思いをしている人の助けになれたらなと願ってます。私は誰かに恩返しをすることも良いことだと思いますが、助けてくれた分、第三者に同様に手を差し伸べる事も大事だと信じております。いずれはそれが循環し、より多くの人が助かって平和になるので。笑

メンタルの問題はほんとに人の命に関わるんだなぁと痛感しました。
この世界から鬱は甘えだ、だとか、努力が足りないだとか、そんな心ない言葉は即消えてほしいと思ってます。
こんな言葉は刃物になり得ます。辛い経験をしたからこそ、絶対にそんな事は言わないようにしています。

さー、リーディングウィーク(お休み)まであと1週間なので、また気合い入れて勉強しますか。
長かったですがここまで読んでくださりありがとうございました。

寒い日が続きますので、皆様お身体と心に気をつけてお過ごしください。

やよい


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