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猫日和 10 時を経て届く眼差し

1998年の7月の初め、もとから弱かった若い白黒猫が死んで、2日後それを追うように20年生きた白猫が老衰で死んだ。私にとっては、初めての飼い猫の死だった。それも、立て続けに。

私は友人達にメールをして「そういうわけで、落ち込んでいるので、当分はこちらから連絡もしないし、電話にも出ない。分かってください。そっとしておいて」と連絡をした。
電話をしないで、と言ったのに、健康上の理由で急に飼い猫を手放さなければならなくなった人がいる、と直ぐにSOSが入り、お宅は2匹一度にいなくなったのだから、もしかして、と相手は言う。心が砕ける思いだった。

断りきれず行くと、生後2ヶ月ほどの猫。
目が合って、仕方ないか……と思ったが、貰ってくれるなら、ついでにこちらも、健康上の理由で猫を手放さなければならない方は、同じくらいの大きさの白猫を差し出す。踏み切りのところに捨てられてウロウロしていたのを保護した、と言う。

猫が好きで飼っていた人が、やむなく我が子を手放す時の悲しい気持ちはどんなだろう。気の毒とも思い、やはり、その思いは引き受けなければ、という気もした。

私は、猫が好きと言っても、公園の猫や野良猫に餌を配って歩くほどの猫好きではなかったし、捨て猫を保護して貰い手を探すほどの親切心も持ち合わせない。
この話も、譲りたい人から直接ではなく、娘の会社の何とか、で、と、その人達同士も知り合いとは言えないのであった。
私には、縁もゆかりもない家なしの猫を可哀想に思って貰い手を探す人の強い気持ちを断りきれない、という性格の弱さがあったかもしれない。

7月に死んだ白黒猫も、言い方は悪いが、押し付けられ猫だった。勿論可愛らしくて、それなりの楽しい日々はあったのだが、成り行きで、家に入れて、そのことを少し後悔しつつ、共に暮らしている、という程度の、緩い関係だった。

その辺から、

2匹も3匹も同じでしょう?
3匹も4匹も同じよ。

というような、猫おばさんの采配で、困った時に最後に回ってくる引き受け処のひとつになっていった。
少し迷惑にも思い、でも、猫は可愛らしく、、、時に
猫の方から暮らすならこの家だと尋ねてくることもあった。

あれから何年も経ち、本棚の整理をしていたら、猫の絵が出てきた。
もう彼らも既にこの世から去ってしまっているが、私を見つめる目はまだ何かを言いたげで、しばらく見つめた後、そういえば、絵を描く時、あまりに目玉を見つめるので、猫がふいと目をそらし、席を立ち、それを捕まえてまたもとの位置に戻して、迷惑がられて描いたことを思い出した。

今なら、もう少しマシに描けるだろうと思うけれど、
あなた達のお陰で私は他の人には出来ない楽しい思いをしたわ、と思い出に浸る。


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