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雑記 8 私と猫 猫を飼うということ

私は、自分の年齢を考えると、飼い遂げる(そんな言葉ないですけど)確信が持てなくて、もう猫を飼うことはしない、と心に決めています。
猫に関しては、まだ逝って間もなく、心の余裕もなく、

捨て猫がいるんだけれど、あなたのところにはもう1匹もいなくなったんでしょう? 寂しくない?

というお誘いを受けますが、お断りするのは大変心苦しいのですが、その猫ちゃんは、どなたか飼ってくださる方が見つかるといいと思っています。
 
本当に、そんな風に、どうしよう? と飼い主や拾い主が困る、行き場のない猫を次々引き取って育て、暮らし、35年、先日やっと猫との日々に幕が下りたところです。
 
私の場合は、子供より先に拾い猫がいた。
団地のゴミ捨て場の階段で、上に登ることも出来ず、下に降りることも出来ず、ただ、か細い声で鳴いていた。あまりに不憫で、手のひらに乗せて自宅に連れ帰りました。団地では犬猫を飼うことは禁止だったので貰い手も探しましたが、見つかりませんでした。

子供にとってはトキソプラズマの危険、アレルギー、喘息。もともと捨て猫なんだから猫は捨てればいいじゃないか、と忠告もされましたが、一度飼うと決めたものは責任がある。そんな風に考え、子供と同じ場で育ててきました。

たくさん猫がいた時は、もちろん相性の悪い猫同士で喧嘩も起こりました。でも、まぁ、人間社会もそんなものだろう、と。
爪研ぎで、柱も畳もボロボロ。柱の木は、硬い年輪の部分だけ残っている、畳は寝転がったら服に藁が付く。
ボロもここまで来れば、立派なもので、土門拳に写真を撮ってもらいたいくらい。襖は今でも記念に保存してある。
 
最後のムツに至っては、猫を飼う難しさというのはこういうものだろう、と思わされる毎日でした。
ムツの自己主張による、所構わぬオシッコ攻撃で、先日Panasonicのホットカーペットをゴミに出したのですが、裏を見たら多分1000回はやられていたと思います。

無印良品の透明な引き出しボックスの中にはオシッコが入り込んで、黄色く粘った塩のようになり、書類やノートは没に。
カーテンもこの家が出来て10年かけられなかった。家が新しくなった後、そのことを知らずにいて、ふと見るとオシッコが滴り落ちていました。

机や棚に乗って、斜め上にお尻を向けて壁にオシッコを引っかける。額入りの絵は、ガラスを伝って下りてきて、額の下部に溜まったオシッコでふやけた。
本も辞書もパソコンも布団も何もかもビショビショ。被害にあわないものはなかった。それもほぼ毎日でした。他の猫も私もオシッコをひっかけられて被害にあっていました。
そのため、他の家族や部屋に被害が及ばないよう、猫は、私の部屋だけで飼うことにしました。ベランダもあり、比較的広かったので、不自由は少なかったと思います。

主張は分かっています。

僕ひとりだけを可愛がってくれ。

どんなに気をつけても掃除しても、オシッコの悪臭は消せません。空気清浄機では、限界がある。

そこまで被害に遭うならば、夜は檻に入れればいい、猫と別の部屋で生活すればいい、とある人は言った。
檻も買ってみた。でも、100倍の抵抗にあいました。飼うと決めた以上、放棄も出来ないと我を張り続けたムツとの19年でした。
 
オシッコをパソコンにかけたからと言って、叱って叩いたらオシッコはしないようになったでしょうか? 
相手は、私のパソコンと知ってやるのですから。

体の大きな人間が力で小さいものを威嚇し言うことをきかせることも嫌でした。
手を上げた時、誰に罰するという権利があるか、と、思うのです。
もちろん、放任ではなく、人間の子供に対するのと同じ程度の言い聞かせはしましたが、ムツの主張は、

ボクだけを愛してくれ、

でした。目も開かないうちに、親猫に捨てられて、植え込みの土の上で、生きるか死ぬかの経験をしたから、その念は一層強いのかも知れません。多頭飼いに適さぬ猫だったと思います。

だから、精神的にはとても辛いこともありました。
でも、猫を愛する、ということは、そういうことを含めてのこと、と私は思っています。
幸い、他の猫たちは、日常、呑気で、明るく、自己主張も真っ直ぐで、飼い主に対しての思いやりもありました。最後のムツがいなかったら、猫同士の喧嘩も少なく、我が家は、猫ネコパラダイス、だったでしょうね。

子供が生まれる、猫同士の折り合いが悪い、そんな私の自分を中心とした判断で、猫を他人に託したり(ここまで尻癖の悪い猫は里子には出せませんね)捨てることは出来ない。私、頑固なんですね。

良い時も悪い時も、共に生きること。弱いものを放棄しないこと。大袈裟で偉そうな言い方ですが、それが私の暮らしの姿勢です。捨てる、など、あり得ない考えでした。

ムツは最後まで残り、うちのお母さん役のガロアが死んだ後、1ヶ月、愛情を独り占めして、猫の日、2月22日に旅立ちました。念願達成だったわけです。
 
もっと高齢になって、先のことは誰かに任せることにして猫を飼うことはあるかもしれませんが、今は飼うことはしないと決めています。

 (2017.11.24)

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