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他人が他人を愛するということ


愛の話をしよう!

私の持論では、愛というのはとどのつまり、当事者同士でしかその事情を理解することができない。そのように信じることは、自分と愛する人との人間関係を守るだけでなく、周囲の人間関係をも守ることができる唯一の素晴らしい方法なのだ。

というのも、私が小学5年生の頃(あぁ…それは算数の授業中だった)、当時ブームだった伝言ゲームで私の好きな子をクラス中にバラされて以来、そう考えるようにしているのだ。

私は、歯ブラシと歯磨き粉がどのようにお互いを信頼し合っているのか分からない時がある。例えばそれは、歯磨き粉は歯ブラシのために存在しているのに、歯ブラシは歯磨き粉のために存在しているのか?とか、歯磨き粉の抗菌作用はどの程度歯ブラシを嬉しい気持ちにさせるのか、とかいろいろなことである。

しかしながら、私の家にも当然に洗面台があるように、洗面台の上には当然、水飲みコップがあって、その中には私の歯ブラシと歯磨き粉は同居している。だからそんな「いちゃもん」を考えるのはよそうではないか。これは他人の愛の話だったのだ。