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復活というには仰々しいけれど

TwitterがXになって死んでしまってからというもの、Apple純正メモアプリへの日記書きが本格的に深まった。自分だけが読み返せればよい記録が1年分に積み重なった。それは仕事の事柄や固有名詞もバンバン出てくるからで、以前はツイート向けに言い換えながら文章を工夫していたが、とうに面倒になっていた。

2021年に東京から神戸に転勤したあとの仕事は大変だった。上司はシニア採用なので、弊社での経験が足りない分を補うケアをおこなっていた。だってうちの会社のこと分かってないのに、外向きに揚々と出られても現場が恥ずかしいじゃん。そういう心理的ストレスはずっとあった。新規採用だらけの現場の統率、既存社員との繋ぎ、細々としたケアは私以外にはできなかった(実際にもう1人いた同期は、本来業務とケアの両立ができずメンタル休職して早々に現場から去った)。そんな当初からは想像もできなかったいまのメンバーとの緊密な2年間が過ぎ、私たちが作り上げたルールやものの見方が確立していく道筋がみえてきて、なんとかなってきた。そこに私が体調を崩した。実際には病気ではないのだけど、通勤ができなくなって2週間、3週間が経ち、在宅勤務にもチャレンジしたけれど、長期的な安静が必要で10月末から正式に休職している。在宅勤務、時短勤務といえども結局仕事となると気を張るし、上記のケアからまったく解き放たれるわけでもない。いま私がケアすべきは間違いなく私だけなのだ。

会社も現場も理解があり、というか理解してもらわざるを得ないのだけど(お互いさまだし)、本来はOJTをもって3ヶ月欲しかった引き継ぎも、要点だけ伝えて在宅期間にスムーズに実施できた。それもプライベート時間にどう引き継ぎをしよう…と概要やフレームを整えたりしていたからなのだけど。そしてそれがまた責任感というストレスとして体に症状として表れては悪化していたのだけど。

しかしそれらから解放されて10日が経った!会社のみんなには悪いけど、マジで休職させてもらえてよかった。毎朝6時に起きてはきょうは出勤できるか無理か、というジャッジ続きの日々にはすでに疲れ果てていた。とはいえまだ10日だから、きょうの出勤誰だっけ、先のプロジェクトの進捗どうなってたっけ、なんてまったく思わないわけではない。ただ手持ち業務を捌くことはもちろん、突発的に降りかかる難題を華麗に解決したり、誰かの動きを気にして先回りして根回ししたり動いたりしなくていいだけで、自分の回復に集中できる。

自分の回復に集中する方法って、人それぞれ持っているものだと思う。絵を描いたり、映画を観たり、音楽を浴びたり、美術館に行ったり、買い物にまみれたり、おしゃべりをしたり。私は2つ。文章を書くことと、文章を読むこと。インプットとアウトプットをかわるがわる行うこと。だから、リハビリがわりに文章を書くし読むし、noteやSNSで読んだものや生活のアウトプットをしていきたい。言語化しないと腑に落ちないのが、私の本来の性質なのだと思う。学生時代までは思いの言語化がとても苦手なことだったけれど、意識的に書くことに向き合うトレーニングをしたことで、自分の思いを文章に落とし込むことがある程度は得意になってきた。この期間に書く技術の向上、読む技術の向上もできたらいいな。復職に役立つかはわからないけど、私の人生には役立つだろう。

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