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スペクトラムの娘とヘレン・ケラーの意外な共通点

「奇跡の人」は、アン・サリヴァン

「奇跡の人」という映画をご存知でしょうか。私は長年ヘレン・ケラーの映画だと思い込んでいたのですが、実は原題が ”The miracle worker"、直訳すれば「奇跡の働き人」。つまり邦題の「奇跡の人」はヘレンを教育したアン・サリヴァンだったことを私はこの時まで知りませんでした。

それは、娘が5年生の時。小さなことにも、なぜか激しく逆ギレし人のせいにしたり、なんでもすぐに出来ないと言って私にやってもらおうとしたりする娘に、あの手この手で成長を促そうと苦労していた時のことです。

サリヴァン先生とヘレン・ケラーと私と娘の共通点

努力の大切さは、人に言われて分かるものではありません。私は視点を変えて、映画「奇跡の人」を娘に見せようと思いついたのですが、まさかこれが自分を凍りつかせる結果になるとは、夢にも思いませんでした。

物語は、家庭教師として雇われたアン・サリヴァンが、ごねれば何でもやってもらえると学んでしまった三重苦のヘレンを再教育するお話しです。何も分からないヘレンに言うことを聞かせる為、サリヴァンは暴れるヘレンと激しく格闘するのですが、その姿が私と娘が格闘している姿にそっくりだったのです。自分たちをTVで見ているようで、二人で青ざめたのを覚えています。

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今は笑って話すことができますが、あの時は、ヘレン・ケラーの状況がなぜうちと重なるのか理解できませんでした。とにかく、画面の中で格闘している二人の姿は、自分たちにしか見えず、途中で見るのを辞めたくらいです。

やはり娘は何かが普通じゃないと確信した忘れられないエピソードですが、実は、三重苦のヘレンとスペクトラムを持つ娘には、見る聞く話すという点で共通点があったのです。

娘は、皆が普通に見えているものが見えなかったり、普通に聞こえていることが聞こえなかったり、普通なら言葉にできることが言葉にできなかったりすることがあるのです。脳の機能障害なので、本人は自分が出来ていない事に気づけないのですが、発達グレーが困るのは、周りもそれに気づけないことです。

発達グレーは、ヘレン・ケラーより辛いかもしれない

ヘレン・ケラーは障害を周りに理解してもらえている点で、娘より恵まれているのです。ヘレンが出来ないのは、本人の努力不足だなんて誰も言いませんから。

娘はどれも完全にできない訳ではなく、時々、所々できないことがある訳ですが、それにより人一倍失敗を重ねることになります。けれども、周りからは本人の努力不足と取られるので自己肯定感が低くなる結果を招きます。

厄介なのは、この「時々、所々の出来る、出来ない」は、見る、聞く、話すに留まらず、匂いや味覚などすべての感覚にも現れ、時には記憶にまで影響を及ぼすので、常に問題になるのですが、本人も小さい頃から頻繁に経験することでそのことを隠すので、更に周りの人に理解して貰えなくなるという点です。

ヘレンを献身的にサポートしたサリバンだって恵まれています。ヘレンの親に雇われて収入を得ていた訳ですし、ヘレンと格闘していた時だって、食事も出してもらい、ヘレンを教育することだけに集中できていたのですから全然違います。無償で家事と仕事をしながら一人で躾をしなければいけない私からすれば、むしろ羨ましいくらいです。

発達障害は、子供の時から何かしら問題になるような特性が現れているはずです。発達障害の事がいろいろ知られるようになってきた今、親や周りが早くから気づいて対応してあげることが、とても大事だと思います。

娘の問題の影には元夫がいた

ここでは、おまけとなりますが、娘のしつけには、いつも「普通の感覚」との葛藤がありました。なぜこんなことで?なぜここまでしないと分からないの?と常に疑問がついて回りました。言っても分からないと、どんどん厳しくするしかなくなっていき、そのしつけ方法は私の意に反するものとなっていったのです。

元夫に助けを求めると状況は悪化しました。元夫は警察のようになり、子供への対応はめちゃめちゃでした。見た目は大人でも中身は更に手に追えない子供だったので、子供のしつけの前に彼自身が大人にならなければいけませんでした。

ただ、どちらにも言葉や常識が通じない訳ですから、私にとってこの状況はひたすらカオスでした。まさかその答えが発達障害とは。もっと早くから知っていれば、ここまで苦しむことはなかっただろうなあと悔やまれます。

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