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noteへの乗り換え

noteを始めてから、より実感したことがある。
このプラットフォームが本当にブログとは異なったスタンスだということ。

私はブログ歴10年程度で、ブログ以前の個人サイトなども含めると20年を迎える…はず。うわマジか、そうだな、そうです。中学1年生で初めて趣味のサイトを作っていたのでした。あれから20年か…人って変わらないね…(遠い目)ただブログにも個人サイトにも、共通する感覚を持って運営していた。インターネットの海に自分を放出する感覚があった。「誰でもいいから見て欲しい」「誰も見ないで欲しい」そんな相反する感覚が共存する表現たちを、誰も知らないところで、みんなが知っているところに垂れ流していた。

7年ほど前にTwitterとブログを繋げたときは、えらく緊張したものだった。基本的にあらゆるWEBサービスを使ってみたい気持ちはあるけど、飽き性だからすぐにやめることが常態化していた。そんな形跡をメインのアカウントに繋げたくなかった。だけど、ジャンルを限定したブログであれば、定期的に更新しなくてもなにかのタイミングで書くし、おなじような趣味やスタンスの人が読んでくれるかもしれない。私の場合は、それを音楽とした。
「一般的な批評」であれば上には上がいるもので、わたし自身がそれに挑戦すると書き続けることを苦痛に感じてしまうのはわかっていたから、「わたしの話」「わたしの目線」「わたしの楽しみ方」のような表現を続けている。個人で文章を書き続けることって、結局それがすべてだと思っている。

そんなブログを長年続けていたが、noteに乗り換えることにした。4年ほど前に勢いでアカウントを作成したものの、自分にとってどういう場所にするかまで考え切れておらず、結局放置してしまっていた。
ただ2週間程度動かしてみると、いまもそして当時も、より個人に肉薄したサービスだと感じる。サポート制度にばかり注目してしまうが、意外とユーザーのゆるいつながりが前提で、使用感がだいぶtwitterに近い。「スキ」はいいねだし、フォローもできる。その上でプロフィール記事を指定でき、記事にハッシュタグを設定可能だし、自分の記事や他ユーザーの記事を一緒くたにまとめてしまえるマガジン機能まで備えている。一度中に入ってみることで見えることがある。いつまでも傍観者のままじゃだめだったのだ。

このたび、これからも書き続けていく、という意志を込めて、noteに移行した。ブログは時系列で記事が並ぶため、必然的に更新が少なくなった。数少ない記事を読んでもらうのだからと、作品のようなクオリティを自分に課していたけれど、もうここではできるだけリアルタイムに更新していきたいのだ。まとめたい記事が増えてきたらマガジンにまとめればいい。こういう雑多な記事はどんどん流してしまえばいい。書きたいネタがどんどん溜まっている。noteを使いこなすぞ、と決めた瞬間から、書くことはすでに楽しい。

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