生活習慣を見直す

母と通話をしていて、その中で冬で寒くなってきたから、起きるのが遅くなってきたね、という話をしました。
年齢が違うので、睡眠時間も違うのですが、母は朝方3時には一度目を覚まして、それからゆっくりして5時か6時には起きる母のサイクルは朝型です。
私の場合、夜勤を6年間近くしていたため、月の4、5回を夜勤に適応させる習慣がついていました。
残った影響としては、朝まで起きていることが苦痛でもなく、昼まで寝溜めして夜に備える方法も、次の日朝からそのまま活動して寝ないで夜を迎える方法も、色んな生活習慣で、バラバラであることが常態化しました。仕事から離れても、その習慣を正すことも、夜更かししてそのまま朝まで起きることも、寝溜めすることも経験があるので、すぐ戻ることができることが頭にあります。生活習慣を正すことも、難しいな、と感じています。
一旦変えたことを、戻していくには、努力と、ルールが必要です。
理想は、小学生の頃のような、朝6時には起きて、6時半には家を出て、登校のために30分程度歩いて、朝にボランティアとして校内掃除を30分、校庭を30分10周走ることをやって、それから授業を受けることを続けていました。15時には遅くても学校が終わるので、その後の自由時間で本を読むこと、アニメをみること、漫画を読むこと、YouTubeをみることを楽しんでいました。月刊誌が出版されていないか、本屋でチェックしながら、夢中になって読んで、単行本を追いかけて、それから絵を描くことで、想像を膨らませる時間がすごく楽しかったです。夜は22時には寝ていました。
朝ごはんを食べた後も、昼ごはんを食べた後も、掃除をする時間があって、体を動かす時間があったので、その後の座学の時間でも眠くなったことはありませんでした。8時間寝ると、残り16時間が生活の時間として残っています。無理をすれば、12時間も、16時間(仮眠で2〜3時間)という仕事の生活で慣れていたので、基本は8時間がベストとして、残りの8時間が自由時間になります。
ボランティアの掃除が好きだったので、朝掃除して、色んな人に挨拶することで、清々しさを感じていました。
ボランティア活動だったり、トイレ掃除といったマイナーな活動が、時間が決まっていて、集中してできる作業が好きだったんだな、と気づきました。
当時は絵を描くことを仕事にしたい、と漠然と考えていて、けれど具体的に何をどうすればいいのか、紙に鉛筆と色鉛筆で漫画を描いたことはあるけれど、その先がわからずに、夜な夜な月刊誌の漫画家さんの描いている動画をみて動画学習をしていました。
道具に慣れることが最初の関門で、何をどうやっても思うようには描けない現実にしょげたりしながら、時々机周りを好きな絵や、漫画で一色に整えて気分を上げてみたりしました。
その時は、父親から激しく怒鳴られたので、それ以降は好きなものを堂々と見える形で飾ることに対して後ろめたさが根付いています。
また、絵を描いていた時、誰かにみてほしくて、姉や妹にみてもらっていました。
姉は蔑むので、欠点の指摘が常で、見せるのが怖くなりました。現実の厳しさと、どう進むことが正解かわからなくなってしまい、ポッキリその時は一度折れました。ペンタブレットを誕生日で買ってくれたり、画材屋さんにお願いして連れて行ってもらったこともあるので、父は口下手で、無愛想なだけでした。
身内に許可を得られないとその道に進めない、というところが現実でした。また、ものすごく田舎で、電車も通ってないですし、市バスも高校生になってからやっと走るようになったくらいの車社会の田舎だったので、周りは軽トラで学校の送迎をしてもらっている同級生が何人もいました。地元に美術の予備校はありませんでした。大学も遠い存在でした。高校まではあっても、それ以降は県外にでていくものでした。
映画館に行くにも、フェリーを使っていかないといけないため、片道3時間程度かけていかないといけず、映画館代よりも交通費の方が高いため、一年に一回映画館で見ることができたら幸せでした。環境もあったと思います。レンタルビデオ屋と、古本屋が都会を知る手段でした。テレビで見る世界は、遠いどこか別世界でした。東京のことを取り上げられても、東京都いう存在がもはやファンタジーでした。
学力を上げて、地元の進学校に行けば多少自由が与えられると思って頑張ってみましたが、結局入学してからは自由ではなくて、求められたのは、次の大学受験に向けての学習でした。遊ぶことでの罪悪感がすごかったので、シングルタスクに必死でした。
高校在学中に絵の道で進むことを決めている人がいて、勉強は置いておいて、好きな自分の道を切り開いて進んでいる人がすごいな、と同級生ながらも、自立していてすごいと感じました。
美術部で入ることができたのは幸福なことでしたが、受験勉強を控えていることもあって、2年で実質辞めた状態になりました。専門学校の試験のために入ってくる人がちらほらと出てきて、進めない進路に進む人を見るのは羨ましさでいっぱいでした。
進みたい道に、進みたい覚悟があって、そのまま進める努力をするべきでした。けれど、進みたいことに関して、そのための、土台に上がる環境を得るところから始まったので、いくら時間があっても、ストレートに進んでいく人とは差が開いてしまいます。

後悔してもしょうがなくて、それは自認しています。
ストレートに進むための行動、やりたいと思ったことをとりあえずやってみる覚悟、それから今までの経験が全部無駄だとは思っていなくて、社会経験を6年、大学で4年、色んな経験を積んでから、絵で表現する背景に活かされる可能性のある部分が培うことができたこと、それから、自分自身の教育のための視点を社会生活の中で経験を積むことができたこと、自分の進んできた道は経験として残ったことなので、よかったです。色んな職種の方と関わりながら働くこともできたので、技術以外の部分で得たことも大きかったと実感しています。
その分、年齢を重ねてしまったため、全てを一気に叶えること、持っていくことはできないということは改めて痛感しました。
頭でわかっていても、実際に体験して、経験して、それから深くようやく実感を伴って理解していることはそう多くはありません。
全てを叶えることは難しくて、全部を持っていくことはできません。また、本当に望んでいることが何か、を考えてみると、そう多くはないこともわかりました。
ギャップを詰めていくことが大切です。
記憶と、曖昧な記憶の部分があると思いますが、思い出になっているところで、都合よく塗り変わっている部分、自分の受け取り方であって、それが事実であったかを証明することは難しいというところがあります。
共感されたい、というエゴが強くなると、自己が全面に出てき過ぎてしまいます。
共有したい、共感されたいということは、そもそも自分自身で体験して、満たされることで、それで満足することで十分なのだと考えています。
誰かにわかってもらおうとするから、うまくいかないのです。わかってもらう必要は大人になったら、TPOにもよりますが、基本は自己完結しても何も悪くないです。頭でわかっていても、心が納得しないことが問題です。欲が出てしまうので、人間の業は、根深いです。

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