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ここに来て1年

いまの家に越して来たのが去年の3月31日。ちょうど1年が経った。

この時期、こちらは枝垂れ桜が開き始めたくらいで、去年は東京の桜と長野の桜、2回の満開を楽しめた。

東京から長野県の小さな町に来たことについて、「コロナが理由で?」と聞かれることも多いけれど、そうではない。

小学校1年生になる娘を通わせたい学校があって、ここに来た。

学校の面でも、自然環境や地域の面でも、子どもにとってこの選択は良かったと思う。

私自身にとっても、やっぱり、この選択をして良かったと思っている。

コロナ禍で閉塞感を感じている人がたくさんいるだろうとき、こんなことを言うのもためらわれるけれど……私にとってこの1年は、世界が広がり、心がのびのびとした1年だった。

たまに隣県の山梨県小淵沢に遊びに行く以外は長野県どころか佐久盆地から出ることもほとんどなく、行動範囲はとても狭かった。だけどたくさんの人たちと出会い、出会うだけじゃなくて一緒に何かをしたり、じっくり話し合ったりという時間が豊富にあって。

コロナ禍で気軽に集まることができないという不便はあったけれど、子どもが寝たあとにZoomで話し、本当に必要なときは直接会って……というスタイルができたのは、思わぬ副産物だったとも思う。

私は人付き合いが下手で、だから隣近所の人とも知らない仲でいられる東京での暮らしが合っていると思っていた。仕事はとても面白くて、自分の毎日は充実していると思っていた。

でも、仕事抜きのところで、思いきり笑ったり、真剣に議論したり、一緒に何かを企んだり、そんな大人同士の付き合いに飢えていたみたい。最近になってそう気づいた。

この1年でそういう付き合いができるようになった一番の理由は、子どもたちが通う小学校をより良いものにしよう、私たちの暮らしをより楽しくしようという、共通のイシューを持つ人たち(学校の保護者たちや移住者たち、移住者を歓迎してくれている町の人たち)が周りにいるからだと思う。

真剣になれるテーマを媒介に、関わる機会が増え、人となりも分かり、一緒に遊べる仲間になる。それが、人付き合いが苦手な私にもできる人間関係の広げ方だった。

こっちに来る前に書いていた「移住を決めた理由」、この直感は当たっていたな、と思う。

前例なんかなくて、余白があって、なにか自分にできることをやらざるを得ない状況に飛び込む方が、私にとっては良い選択に思えた

もちろん、何もかもが完璧というわけではない。

ここに来る前に妄想していたけれどできていないこともあるし、今は母子移住(夫は東京)だけど今後は? というのも長期的な課題ではある。

でも、次々といろんな壁にぶつかりながらやっていくのが人生だ。1年過ごしてみて、ここでなら、へこたれずにやっていけそうな気がしている。

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