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子どもだった私、母である私と『思い出のマーニー』

『思い出のマーニー』は、最近大好きになった本だ。

タイトルを初めて聞いたのは、スタジオジブリの映画になったとき。当時はあまり興味を惹かれず、原作がイギリスの児童文学の名作であることまでは知らずに時が過ぎた。

オーディオブックで出会う

やがて、子どもと一緒にオーディオブックを聴くようになった。

ミヒャエル・エンデの作品などを一通り楽しんで、他にも子どもと聴けるものは……と岩波少年文庫を検索してみたときに、たまたま目に入ったのが『思い出のマーニー』だった。

「そういえば、どんな話だろう?」と興味を惹かれ、表紙の少女のイラストにもなんとなく好感をもったので、聴いてみることにした。

子どもとオーディオブックを聴くのは、たいてい車でどこかに出かけるとき。上下巻で13時間15分超と結構長いので、移動の機会ごとに細切れに聴いた。

冒頭は主人公のアンナが、彼女が「おばちゃん」と呼ぶ養母(ミセス・プレストン)に見送られて列車で出発する場面。アンナが心のなかで思うことや行動の描写、そしてミセス・プレストンの応対の様子から、彼女が大人にとっては扱いづらい子であることが分かる。

周りの大人たちが考える子どもの幸せと、アンナ本人が求める幸せがかなり食い違っているようなのだ。

アンナへの共感

このあたりから、私はこの小説にぐっと引き込まれた。

かつて子どもだった私が、アンナに「そうそう! 大人には私たちの気持ちなんて分からないよね。分かってもらうつもりもないし」と言いたくてウズウズしている感じがした。

その後、海辺の田舎町であるリトル・オーバートンでの日々でアンナが考えること、心を震わせることのいちいちに、子どもだった私が反応する。

同年代の女の子だからって誰とでも友だちになりたいわけではないこと、友だちが多くなくても別に寂しくはないし、そんな自分を結構好きであること、だけど本当に気の合う友だちを求めているし、そんな人と過ごせたときの高ぶる気持ちや充実感は何にも代えがたいこと、自分のそれとは全く異なる友だちの家族の様子に感じる眩しさ、そんな家庭に暖かく迎え入れられたときのくすぐったいような嬉しい気持ち……。

育った時代も環境も違うけれど、私ってちょっと変わっているのだと思っていたけれど、こういう風に感じている子どもは、本当はたくさんいたのかもしれない。

アンナに接する大人たちへの連帯感

同時に、アンナと同年代の子を持つ母としての私は、この小説の別の部分に共鳴する。

ここに登場するほとんどの大人は、それぞれにそれぞれのやり方で、子どもたちを愛している。

それはアンナにとって的外れであったり、うっとおしいものであったりすることもあるのだけれど、みんな自分が良いと思うやり方でアンナや他の子どもたちに接し、アンナの反応に一喜一憂したり、ゆったり受け止めたり。そのひとつひとつの描写に、労いの気持ちが湧いたり、いいなぁと憧れたりした。

これは、私が大人になったから、もしかしたら母という立場だからこそ、しみじみと感じられることなのかもしれない。オーディオブックの声優さんの声の温かさも、大きな要因だったと思う。

ミステリアスでドラマチックな物語の魅力

『思い出のマーニー』の魅力を語るには、ストーリーの面白さも忘れてはいけない。

最初はただ、少女の日常と心情がノスタルジックに淡々と綴られていくお話なのかなぁと思っていた。

その予想は大外れで、読み進む内に少しずつ色々な謎が持ち上がり、なんだかわからない引っかかりを感じるようになる。そして最後のダイナミックな展開で得られるカタルシス。

最近遠ざかっていたミステリー小説のワクワク感に、期せずして再会したような気分になった。

心理学的な解説を読んで

これは耳から聴くだけでなく文章でも読んでみたいな、と思っていたところに、『思い出のマーニー』をテーマとした読書会が開催されることを知った。

『思い出のマーニー』そのものではなく、NHKの『100分de名著』のテキストの中から『思い出のマーニー』を取り上げた回の部分を読んでお話しましょう、という内容。

小説そのものを読んでいく必要はなかったのだけれど、良い機会なので図書館で岩波少年文庫を借りてきた。

読みながら、頭の中ではオーディオブックで聴いた声が再生される。でも、音声ではさらった聴き流していたようなところもあらためて読むことで、幾人かの登場人物や場所のイメージが頭の中で描き変わった。オーディオブックにはなかった挿絵も素敵だった。

そして読書会の場では、『100分de名著』のテキストに収録された臨床心理学者の河合俊雄さんの解説を読んだ。

「心理学の視点ではこういうふうに読み解かれるのか!」という驚きがあった。また、この小説は専門家の目からみても、子ども時代の心の動きや成長のあり方を素晴らしく表現しているんだと、作者の力量に関心した。

大人ひとりで子どもを幸せにするのではない

河合先生の解説を読んで気付かされたのは、子どもというのは(いや、大人でも?)、周囲の大人からの働きかけや、他の子どもとの関わり合い、そして自らの思考やあがき——そういったものがたくさんたくさん積み重なって、じっくり発酵して、その末に、なんらかのタイミングで次の段階へと脱皮して成長していくんだな、ということ。

ひとりの大人による一回の、一方通行の働きかけによって、すぐに子どもの力が伸びたり問題が解決されるなんてことはない。そんな簡単な話じゃないんだと、河合先生の解説を読んで痛感した。

子どもは、周囲の人や環境から良いもの悪いもの、どちらとも言えないもの、それらをひっくるめて受け取って、自分なりに消化したりしなかったりする。その上で、子ども自らが世界に働きかけて喜んだり傷ついたり、なにかに気づいたり……そういう過程があって初めて、成長とか問題を乗り越えるということにつながるのだ。

マーニーを取り巻く様々な大人はそれぞれの関わり方をしていて、そのひとつひとつは矛盾することも大いにあるし、その中の誰も、ひとりの力でマーニーを幸せにできたわけではない。

この小説にマーニーの実の親は出てこないけれど、実の親だって、ひとりで子どもを幸せにできるわけではない。

だからそんなに気負わずに、でも常に子どもの幸せを願いながら、自分なりに良いと思える関わり方をしくほかはないんだな、と少し肩の荷がおりた。

子ども時代に『思い出のマーニー』を読んだ人も読まなかった人も、大人になって分かるこの本の面白さを感じてもらえたらと思う。


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