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嫁入り菓子から駄菓子まで昭和レトロなお菓子がいっぱい

11月9日(火)、まち歩きなごやの「嫁入り菓子から駄菓子まで昭和レトロなお菓子がいっぱい」に参加してきました!

創業80年の豆菓子、オリジナル手造り飴、金平糖
新道・明道町 菓子問屋街は、菓子への愛がいっぱいでした。

菓子のまちとして栄えた新道・明道町、菓子問屋街で、菓子への愛に触れました。

最初は、江戸時代に創建された寺院や、観音様めぐり。

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関東大震災以降発展する、菓子工場・菓子問屋街にも影響を与えたそうです。

次に、新道町通へ。昭和11年菓子問屋24軒,菓子製造134軒が並ぶまちの地図や、栄えていたことを象徴する立派な山車の写真を見て、当時のことをイメージします。

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その建物の横には、屋根神様。当時あった場所から3回移動して、現在の場所へ。屋根ではなく、地上にあるのはそのため。今回、まち歩きのために、提灯をつけてくださったそうです。

いよいよ、菓子に直接かかわる場所へ。

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愛知菓子会館の2階の奥へ進むと、金平糖博物館がありました。
中京大学名誉教授中田さんが集めた世界各国の金平糖が紹介されています。

統計学を専門とする先生は、突起状の角を数式化したり、子供向けの本を出版して全国の小学校に寄贈したり、金平糖への愛を形にされています。

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昭和14年創業豆菓子製造の豆福さんでは、三代目社長よりお話を伺いながら、製造工程を見学しました。全国の豆菓子は、製造販売しているところは数社、販売だけの会社がほとんどだそうです。

お菓子をつくることは、よりよくなる原料や製造を変化させていくこと、重要なので製造はやめない。よい菓子をつくるこだわりが伝わりました。よい菓子をつくるこだわりが伝わりました。

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昭和24年創業の歌舞伎飴本舗さんは、仕込み飴の製造。
全国に19ある飴製造会社は、中部地区に半数。
後継者問題や、新型コロナの影響で、販売促進用やお土産の売上減少の課題も伺いました。

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棒状に伸ばした色の違う飴を数種類並べて、海苔巻きのように外側を飴で巻く。直径40cmから、直径2.2cmに伸ばされて、裁断されて飴になっていく工程は、見ていて楽しいですね。

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最後は、隅田神社。戦後菓子問屋に出入りしていた行商「カンカン部隊」から愛されていたとのこと。

新道・明道町、菓子問屋街、通ったことがある場所でしたが、歴史を知り、まちの人の菓子への愛を伺って、まちの見方が変わりました。
もっと、いろいろなお店や場所をめぐってみたいと思いました。

レポート:わかお 写真:土井槙子

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■やっとかめ文化祭


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