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甲賀忍者と尾張藩

まちなか寺子屋「甲賀忍者と尾張藩」は甲賀忍者の末裔である渡辺俊経先生をお招きして幕を開けました。

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まずは甲賀忍者と徳川家の結び付きから始まり「有名な伊賀越えは甲賀者も関わっており、実際は甲賀伊賀越えだ」と笑顔で語る先生。その後、十数年後にやっとその功績を評されますが、天下分けめの関ヶ原合戦に備え、サバイバル技術に長けた甲賀者を味方に付けたい家康の心情が見て取れます。

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その後、尾張藩へ仕えた甲賀忍者は、兵法指南として甲賀で研究された砲術や狼煙等の火術、薬学等を藩士に教える名目で登城し、実際はあまり表に出せない諜報活動を行っていたのではと語る先生。ただ、自由な甲賀者は生真面目な初代藩主の義直公とソリが合わず、一時解雇された形跡があるとの事。それでも互いの譲歩で、有事の際のみいつでも駆け付ける契約で、渡辺先生のひいお祖父様の代まで藩との関係は続いたそうです。

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普段は百姓や山伏として甲賀で暮らし、有事の際は火術や薬学、サバイバル知識や山で鍛えた脚腰で諜報活動をする孤高のプロフェッショナル集団、それが甲賀忍者。そして渡辺先生は語ります。「甲賀忍者は自己の判断で動き、主は持たない自由な集団だった。彼等の兵法は仲間や自らの命を守るもの、戦で人が死なずに済む兵法。」

この言葉は私の心に深く響きました。物語の中の忍者像でなく、実際の子孫の方から聴けたリアルな忍者像は、更に素晴らしいものでした。
私達が暮らす街なかにも、もしかしたら現代を生きる忍者が忍んでいるかも知れません。

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カメラ:Terao レポート:近藤加奈子

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