「自責」という言葉が苦手である
「自責」「他責」という言葉、あなたの周りではよく使われているだろうか。
はっきり言って私はこれらの言葉が好きじゃなくて、自分では絶対に使わない。
「自責」とは、「自分の責任」とも「自分を責める」ともとれる言葉だ。
例えば仕事で問題が起きて、上司に相談したとする。
そのときこんなふうに言われたら、どう受け取るだろうか。
「それって他責だよね?」「自責で考えて」
このあとに続くコミュニケーションにもよると思うが、もしもこの言葉とともに突き放されたとしたら、責任感の強い真面目な人ほどこう思うのではないのだろうか。
「ああ、すべて自分が悪いんだ。物事がうまくいかない原因は私にあるんだ。」
けれどもちょっと、考えてみたい。
本当にその問題、自分を責めることで解決するのだろうか。
いや、正確に言い直そう。
本当にその問題、自分を責めないと解決しないのだろうか。
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なんでこんな話をするかというと、「自責(自分を責める・ひとりで責任を背負いこむ)」をやり続けた結果、心のバランスを崩して病気になってしまった人を、私は何人も知っているからだ。
そんな人たちはだいたい、責任感が強く頑張り屋さんだ。
病気になってもなお「自責」し続け、苦しんでいる人も多い。
けれどもよくよく話を聞いてみると、客観的に見てその問題は決してその人だけのせいではないことが多い。その人のスキル特性と、割り当てられた業務内容やチームの状況と、「自」と「他」両方の要因が絡んで問題が起きているだけだ。
なのになぜ、こんなに自分のことを責めるんだろう、一人で背負いこむんだろう、と心が痛くなる。
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私が発達障害児を教えていたとき指導員間で共有されていた考え方に、「個と環境の相互作用」がある。問題は「個人」と周りの「環境」との「間」に起きると考え、その両方にアプローチするというもの。
例えば、予定が急に変わるとパニックになって大暴れしてしまうお子さんがいるとする。
その子には、自分からあらかじめ先生に予定を聞く・パニックを起こしたときに自分で落ち着く、などのスキルを身に着けられるよう練習する。これが、「個」へのアプローチ。
同時に親御さんや先生に本人に見通しをわかりやすく伝える提示を実践してもらったり、彼が大人になり仕事を探すときにはそもそも急な変更の少ない職業を探したりする。これが「環境」へのアプローチである。
「個」だけのアプローチよりも「個」と「環境」の両方へのアプローチのほうが問題は解決しやすいし、「個」だけを変えても解決しないことがあるのは、容易に想像がつく。
ではこれは、子どもだけ、障害のある人だけに当てはまることなのかというと、決してそんなことはないと思う。
「個人」のせいだけにするのでも、「環境」のせいだけにするのでもなく、その両方から改善方法を考える視点を持つことで問題が解決しやすくなるというのは、年齢や障害の有無関係なく当てはまるのではないだろうか。
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話を戻そう。
問題が「自分の責任」なのか「他の責任」なのかの境界線はそもそも曖昧だし、そこをはっきりさせることはそんなに重要じゃない。
大切なのは、「個」と「環境」両方に目を向けて問題の要因を探り、改善方法を探すこと。それができれば、誰か特定の個人を「責める」必要はないのだ。(反省は必要だけど)
人間なのでどうしても個人を責めたり、環境のせいにしたりしたくなってしまうものだけど、どちらか片方だけでは解決しないという認識を持つことは必要だと思う。
それは「甘え」なんかじゃないし、「非効率」でもない。むしろ自他への「厳しさ」が求められるし、うまくいけばそのほうがずっと「効率的」だ。
上記のやり方で問題を解決するのは、それが仕事やビジネスとなると余計にめっっっっちゃ難しいというのは社会人3年目のぺーぺーである私であっても強く感じるし、きれいごと言ってるんじゃないよという突っ込みが飛んでくることも予想できる。
それでも私は、「それって他責だよね」と切り捨てる前に、「何が要因だと思う?」「どうしたら改善すると思う?」と問いを投げられる、もしくはいっしょに考えられるチームや関係性をつくっていきたい。
そういうわけで私は、「自責」「他責」という言葉が苦手なのである。
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