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ネガティブとポジティブは延長線上にあるという「お守り」を、拾い集めること

嬉しいことと、悲しいこと。
ポジティブとネガティブ。

相反する2つの気持ちや出来事は、白黒のようにはっきり分かれるのだと思っていた。

自分の心の中がオセロのボードだとしたら、そこはできるだけポジティブな、真っ白のコマで埋め尽くされるべきだと。ネガティブな黒い感情はすぐにひっくり返してポジティブに変換するべきだと、そう思っていた。

そうじゃないんだよと優しく教えてくれたウェブメディアが、soarだ。

もともといち読者だったこのメディアで、現在はライターとして書かせていただいている。

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高校生のころ、家族のことで悩み、スクールカウンセリングに通っていた時期があった。(保健室に行って泣いていたら、いつの間にかつながれていた)

当時、ネガティブな気持ちや出来事は恥ずかしいものだと思っていたから、保健室の先生にカウンセリングを勧められたときは抵抗したし、誰にも知られたくなかった。話を聞いてもらえてありがたかったはずなのに、結局、通うことを自分からやめてしまった。

いつも笑顔でいるのが良いことだと思っていたし、暗い話をしたくなかったから、ごく一部の友達以外には、家族の話題になったら楽しいエピソードを盛って話すようにしていた。(ことばで実際よりも良く見せることが、私は昔から得意だ。良くも悪くも。)

でも実は、あのころの自分の気持ちは成仏できず、心の底に沈んだままになっていたのだと思う。当時のしんどさを初めて言語化できたのは就活のタイミングで、人に手伝ってもらいながら自己分析をしたときだ。ああ、あのときってしんどかったんだなあ、とネガティブな自分にはじめて正面から目を向けることができたのだった。

今だから思う。苦しさにポジティブをかぶせてなかったことにするのは、一時的にはラクになるけれど、本当の"回復"ではない。

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小川糸さんの小説「サーカスの夜に」に、こんな一節がある。

人生の哀しみを知らなくちゃ、相手を笑わせることなんてできないもの。孤独を知っているからこそ、みんなでバカ笑いできる幸せをありがたく思えるのよ。

哀しさを知ったぶんだけ喜びに対しても敏感になる。哀と喜は白黒でわかてるものではなく、グラデーションで同じ延長線上にある。そう思わせてくれるこの一節を、哀しいことで胸がつまったときに思い出す。

苦しい気持ちに向きあうのは、痛みを伴うことでもある。いつもその痛みに耐えられるほど、人は強いわけじゃない。

ポジティブを重ねて嫌なことから目をそらすことが悪いわけでもない。そうしないと越えられないことが、たくさんあるからだ。

それでもいつの日か、自分の苦しさに向き合い、意味を見つけられるときが来るのだと。その先に本当の「回復」があるのだと。そう信じられることは、一種のお守りのようなものだ。

例えば、

摂食障害があったプラスサイズモデルNaoさんの

こうしないと人に愛されないとか、そういう不安が強い人もいるかもしれないけれど、そんなことは決してないし、普通にそのままでいるだけで、愛情や幸せはあるんだと思います。気付きさえすれば。

ということば。

抜毛症の土屋光子さんの

治っても治らなくてもいい。髪がないことを隠してもいいし、公表して楽しんでもいい。八方ふさがりに思えても、実は人生にはいろんな選択肢があるんですよ。

ということば。

soarの記事にはたくさんの「お守り」が散りばめられている。

私にとって価値観というのは、ひとつの決定的な出来事で変わるものではなくて、拾い集めたことばや体験によって少しずつ編まれていくものだ。

「ネガティブな面を人に見せるべきじゃない」「人に頼るのは良くない」というかつての価値観は、今でもたまに自分のなかに顔を出す。けれど、soarで「お守り」を拾い集めるたび、またひとつ、私の心はやわらかくなる。
だから、soarが好き。

誰かの生き方は、他の誰かの光になる。ありがたいことに私はライターという立場で、その光をことばに乗せて届けるお手伝いをさせてもらっている。

まだまだ未熟だけれど、心を耕し背筋をのばして、筆をとりたいと思う。

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