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開園までのお話ーその5ー「お元気ですか? いま、もう一度保育園をつくってるんです」

開園までのお話(これまでのあらすじ)
その1ー「きっかけは、ひとりの赤ちゃんとの出会いでした」
その2ー「まさか、乳児保育園をつくるなんて、思いもしなかった」
その3ー「どうぞ、原村のこどもたちのために使ってください」
その4ー「71歳でクラウドファンディングに挑戦することに」

クラウドファンディングの開始は2022年2月10日に決まりました。掲載する原稿をまとめ、動画を編集し、バタバタと準備は進んでいきます。

1949年生まれの橘田園長は、72歳になりました。身体の調子もすこぶる良く、気力もありますが、年齢のことが気にならなかったわけではないそうです。「本当に自分がやるのか、やれるのかどうか」。でも、やると決めました。

決断に至った最後のひと押しは、尊敬する先輩園長からの一言でした。原村の保育の状況を伝えながら、自分の年齢も踏まえて、どこかの社会福祉法人と共同で運営ができないものかと伝えると「あなたが自分でやるのがいちばんよ」。「いままでやってきたんだから、できるわよ」。

原村に移住したら、ボランティアでもしながらのんびり庭仕事をして過ごそうか。ぼんやりと思い描いていた「移住ライフ」は半年ほどで様変わり。

プロジェクトの共同代表をつとめる小林節子さんを中心に、メンバーで集まって原村の村長さんに会いに行ったり、新聞の取材を受けたり、講演会を企画したり…。保育士さんの採用や、保育園の認可申請の書類作成など、実務作業も伴って目の回るような忙しさでした。

大変なこともたくさんありました。でも、思いは1つだけ。この原村で、こどもたちにとって、いい保育環境をつくりたい。

45年前、まだ産休明け保育もない時代、橘田園長は親と保育士が一緒になってつくる「共同保育所」の運営を経験しました。こどもを育てながら女性が働くためには、安心して預けられる場所が必要です。その場所(保育園)がないなら、自分たちの手でつくる。

まだ公的な補助も整わない時代でしたが、そうして1970年代から1980年代にかけて、若い親たちと保育士さんの志によって、日本にたくさんの保育所が開設されました。

そして2022年。もう一度、保育園をつくる。そう決めたとき、思い浮かぶのは、かつて一緒により良い保育を目指した、たくさんの仲間たちの顔でした。定期的に連絡を取り合っている人もいれば、同じ保育の世界で風の便りで様子を知りながら、もう何十年も会っていない人もいました。

生き方や働き方が多様化するこれからの時代、原村のような小さな村にも乳児保育園がきっと必要になる。橘田園長をはじめとするプロジェクトのメンバーは、あらためて乳児保育の大切さを伝えるためにも、クラウドファンディングの呼びかけ賛同者として、かつて一緒に「よい保育を」と力を合わせた、たくさんの仲間たちに一人ひとり声をかけました。

クラウドファンディングには、賛同者としてたくさんの方がメッセージを寄せてくださいました。

それぞれ、いまも日本の保育のために力を尽くしている方ばかりです。保育の仕事を通じてたくさんの仲間と巡りあえたこと、今こうして、再び、連絡を取り合い、ともに語り合えること。その再会は、私たちの大きな力となりました。ご支援くださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。とてもとても、励まされました。


その後、2022年4月1日。八ヶ岳風の子保育園は無事、開園を迎えました。こどもたちは木の香りのする素敵な園舎で、元気に過ごしています。

そして2022年5月31日。クラウドファンディングは目標額を達成して終了しました。全国のたくさんの方から、乳児保育への期待とあたたかなメッセージをいただきました。

クラウドファンディングの成功、ありがとうございました!
乳児保育園「八ヶ岳 風の子保育園」を原村につくりたい
開設支援プロジェクト


いま私たちは、この原村という小さな村で、乳児保育の大切さを問い直し、ひとりひとりのこどもたちと向き合い、一緒に楽しい時間を過ごしています。


ご支援いただいた皆さま、ぜひ、いつか八ヶ岳に遊びにきてください。

東京ではない場所で子育てがしてみたいと思われる方々、自然豊かな場所で保育の仕事をしてみたいと思われる保育士さん、ぜひ、声をかけてください。

開園までの道のりのお話は、ひとまずここで一区切り。長文にお付き合いいただきまして、ほんとうにありがとうございました!