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開園までのお話ーその1ー「きっかけは、ひとりの赤ちゃんとの出会いでした」

なぜ人口8,000人の小さな村に、乳児保育園が誕生したのか。今日は、八ヶ岳風の子保育園がはじまるまでのお話をしようと思います。少し長めのストーリーですが、よろしければお付き合いください。

そもそものきっかけは、2020年11月でした。原村には、農業を専門的に学ぶ「八ヶ岳中央農業実践大学校」という学校があります。雄大な八ヶ岳を背に、のんびりと草をはむ乳牛やヤギ。もし原村を訪れるのであれば、ぜひ一度体感してほしい眺めです。

八ヶ岳中央農業実践大学校の芝生広場からの眺め。売店のアイスも絶品です。

2020年11月、その八ヶ岳中央農業実践大学校から、長年の経営難の打開策として国内でも最大規模となる、1200頭の乳牛飼育施設(メガファーム)の誘致計画が発表されました。

八ケ岳に最大級の酪農施設計画 堆肥の行き先懸念

朝日新聞デジタル 2020年12月4日

地元住民から「八ヶ岳の環境と水を守りたい」という声があがる中、2021年1月13日、メガファームの運営法人が計画の白紙撤回を表明しました。

このメガファーム誘致計画は、私たちが日常で手に取るひとつひとつの乳製品や農作物がどのように作られているのか、時代に応じた酪農のあり方や、アニマルウェルフェアの問題など、さまざまな課題を見つめなおし、捉え直すきっかけになりました。

そして、このときひとつの出会いがありました。

それは、地元住民の有志によって開催されたメガファーム計画や八ヶ岳中央農業実践大学校のこれからを考える勉強会でのことでした。

参加者のひとりに、八ヶ岳中央農業実践大学校で働くお母さんがいました。話を聞いてみると、毎日0歳の赤ちゃんを背負いながら、牛や羊の世話をしていること、原村には保育園が1園あるけれど生後10か月以降しか預けられないため、こうしてこどもを見ながら仕事をしている、と教えてくれました。

「なんとか、できないものだろうか?」

地元住民のひとりとして、その話を聞いていたのが、東京で35年以上乳児保育に携わってきた橘田美千代(きったみちよ)現・八ヶ岳風の子保育園園長でした。

1949年11月生まれの70歳(当時)、橘田園長は2020年4月に東京から原村へ移住してきたばかりでした。

そしてこの出会いから、いま振り返っても、奇跡のような人とのご縁や、つながりによって、八ヶ岳風の子保育園・開園への道が拓かれていくのです。


その2へ 続きます。

開園までのお話ーその2ー「まさか、乳児保育園をつくるなんて、思いもしなかった」