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本の棚 #192 『舞台』

昔読んだことがある気がするけど

帯に書いてあった

自分を「演じる」こともある。
そんな自分も愛してほしい。

この言葉をみたときに

「よし、もう一回読もう」となった。

ありのままで、という歌が流行るくらいに

ありのままでない姿で、演じている自分で

生きていると考える人が多い。

でもありのままとは、なんだろう。

ありのままでない姿で、というよりは

ありのままに憧れる、

ありのままの自分をどこかに求めている、

そんな心理なのだろうか。

一人のおとこがニューヨークを舞台として

あぁだこぉだと考える、

その思考、行動にどこか自分を重ねながら

ページをめくる。

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俺の自由を見よ。
何も持たない、俺の自由を。

食べたら体重が増えて、動きが鈍くなる。

食べれば食べるほどに、どんどん重くなる。

何かを持てば、同時に身軽さは損なわれる。

ニューヨークの旅の初日に

すべてが入ったバッグを盗まれる主人公は

その代わりに

何にも縛られることのない自由を得る。

ぼくたちは何に縛られているか。

そうだ、今まさに手にしている。

電話ができることだけに飽き足らず

生活の多くをサポートしてくれる。

しかし、反面これのせいで縛られている。

次に企画している旅は

「ケータイを開かない旅」

目的地に辿り着けるかさえわからない。

辿り着けなかったとしても

それはそれでおもしろい。


俺はいつだって演じている。何かを。

人からどう見られるか、

そのことに敏感であることは

悪いことではないと思う。

しかしそれが自分を苦しめているなら

それはそれでどうかと思う。

人は誰だって演じている。

生まれたての赤ちゃんを演じて

幼稚園に通って見せて

受験勉強を頑張る学生を演じて

社会人となって世の中にとっていい人を

優れたリーダーを演じる。

お父さん、お母さんを演じて

じいちゃん、ばあちゃん

ご近所の田中さんを演じている。

このことに良いも悪いもない。


心は体のおもちゃだと、いつか、父が言っていた。

心は体に内包されている。

心を病んでしまうということが

かなり身近で起きているし

明日は我が身だと思う。

心と体はリンクしていると考えると、

心が凝り固まっているならば

体を思いっきり動かして

心が動ける余白をつくってあげることが

大切なんじゃないかと

結構昔から思っている。

歩くだけでいい人もいれば

バチバチにトレーニングしたほうがいい人もいるし

サウナで汗をかくというのもまたいい。

旅をするというのも、体をどこかに移動するという点では

心をひろげる機会なのかもしれない。

人は、結局のところ動物だから

椅子にずっと座ってたら

頭がおかしくなるのは、そりゃそうだ。

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八次涼太郎/人事/コーチ
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