#エッセイ 『日本の研究力の低下の一途』から・・

   今回の題材は昨年の日経新聞に出ていた記事の見出しからです。チョッと衝撃を受けた内容だったから取り上げてみました。これはチョット残念な記事でした!ザックリいうと日本で発表される注目すべき科学の論文数が年々減ってきているという内容でした。僕たちの国は人材のみが資源で、明治時代から西洋に“追いつけ追い越せ”の精神で教育に力を込めてきた国のはずなのに、また科学技術を発展させて産業に転換をさせてきた事がこの国を支えてきたのに、この記事を読むと気持ちが少し暗くなってしまいました。
    近年、日本人のノーベル賞の受賞者が増えたのは基本的には1960年代から1980年代くらいにかけての研究と考えられますので、その頃はいわゆる“ガンバリズム”の全盛期ですよね。勿論その前の時代から僕たちの国は教育に力を入れて、その教育を受けた人たちがコツコツと学問の世界では研究を重ね、そしてそれぞれの企業や省庁などの職場で頑張って働いてきたからこそ、戦争に負けて焼野原だった国土からここまでの経済力と繁栄を日本が手に入れることが出来たのだろうと考えるのは僕だけでしょうか。戦後日本の驚異的な復興に関しては教育以外の要因も色々あるとは思いますが、しかしながら教育こそが大きな柱であったことはやはり否めませんよね。それなのにこの二十年で科学論文の競争力が3位から10位まで落ちれば、これから先の何十年か後にはノーベル賞の受賞者はほぼ出なくなりそうですよね。それではチョット国民としても悲しいと感じるんじゃないかと思います。少なくとも僕は悲しいですね。何もノーベル賞の授賞者数が必ず国力に比例するわけではありませんが、しかしながら僕はそれが全てではないと言いつつも、それでも目安の一つになると考えることができるのではないかと思うのです。これを読んでくれた人の中にも受賞数が国の教育の水準や国力にどこかで比例はしているのではないかと思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。
   
   こうなってくると研究力の低下とはやっぱり教育水準が落ちてきたとはどういう事なのだろうかと考えちゃいますよね。僕たちの国、日本では昭和三十年代の後半から四十年代の高度成長期を過ぎて、豊かさがある程度いきわりました。そして昭和五十年代くらいから国民全体でそのことに対する満足度を感じられるような時代を迎え、早や四十年くらいの時が経ちました。その間に僕たち日本人の中でどんな変化があったのでしょうか。今回は教育という観点から考えてみたいです。
   
    僕が少年時代だった昭和四十年代から五十年代にかけて、僕自身が肌で感じたことを思い出すと、多くの日本人は勉強していい学校に入り、いい会社に入る事が一つのステレオタイプの夢であったように思います。それが叶えば人生一丁上がりとでもいうのでしょうかね(笑)。当時の肌感覚としてはそんな感じだったのではないでしょうか。勿論当時の僕もそんな感覚にどっぷり首まで浸かっていました。大体どの家庭の子も何かしらの塾に通い、当の本人のやる気の有り無しなんか別の次元で受験勉強に励む事が当たり前という感じでした。かく言う僕も小学校のころ嫌々塾に通っていました。当然勉強なんてやる気がこれっぽっちも無いもんですから、塾では隣町の小学校の子と仲良くなって、友達を増やしたという程度の感じでしたね。当時はやりのメンコの交換をしたり、プラモデルや漫画の話をしに行く程度で、塾の授業なんて全く聞いてないもんですから、今思えば懐かしくもあるのですが何とも勿体ない時間を過ごしたもんです(笑)。話がそれてしまいましたが、小学校の頃から塾通いをしてまで頑張るというのは、いうなれば当時の日本の子に与えられた使命感に近い価値観でもあったのではないかと思います。ちょっとひねたくれた言い方をすれば、学校の勉強さえできればそれで良く、その他の生活でちょっとした問題があっても親も教師も目をつぶってしまうという感覚を当時の僕は時代の空気として感じていたように思います。この手の話はテレビドラマなんかで形を変えてよく出ていましたよね。例えば二人の子供がいたずらをしても叱られるのは勉強のできない方の子だけであったり・・という感じの話です。ドラマの中では教師がイタズラをした二人の生徒に対して、出来の悪い子にはボロクソ叱って、横にいる出来のいい子に『お前が一緒に居たのにダメじゃないか!』なんて軽めの注意で終わるというパターンですよね。もしこれが現実の世界なら俺は叱られる方だな・・なんて思いながらそんな番組を見ていた思い出もあります(笑)。そんな価値観が社会の真っただ中にあった時代に僕は少年時代を過ごしてきたんですね。

   それが徐々に変わって来たなと思うようになったのはおそらくは時代が昭和から平成になった頃からだったのではないかと思います。その頃には僕はもう二十歳も過ぎていましたが、新聞やテレビのニュースからは“ゆとりの教育“という事を耳にするようになり、授業時間の削減や教科書のカリュキュラムを減らすなど目に見える政策も国から施されていたのは覚えています。これに関しては、しばらくしてから算数で円周率が3か3.14かで国民の議論を呼び、それだけが呼び水になったのかは分かりませんが、すぐに反動形成をするかのように”脱ゆとり“へ国民から当時の政府に向かって叫ばれたという騒動もありましたよね。実は円周率が3か3.14かという事を議論の中心としてしまうには僕個人としてはどうかと思うのですが、議論の入り口としては分かりやすかったのでしょうね。それは子供の学力が落ちつつあるという象徴的な問題として理解されたのでしょう。そんなニュースをテレビで見ていて思ったことは、”あら、オレたち日本人もいざとなれば国に抵抗するのね“という事と”やっぱりみんな教育は大事だと思っているんだ“という事です。元々”ゆとりの教育“というフレーズは実は僕が小学生の頃からチラホラ耳にしていたのですが、それが加速してきたなと感じ始めたのが平成の初め頃だったのではと記憶しています。そもそも国が”ゆとりの教育“を言い出した事にだって何か原因はあったはずですよね。その時のキーワードはたしか『受験戦争』という言葉だったと思います。そこで偏差値なるものも導入され、過当競争を抑えてるはずだったのですが、その偏差値という言葉が子供達には呪いの言葉のように聞こえたのですね。少なくとも当時の僕には・・(笑)。自分が叩き出す偏差値という数字はイコールでテストの点と同じに捉えられ、自分の価値と同等に考えてしまったもんです。その偏差値をもって志望校を決めれば、受験もそれなりのゾーンでの競争で緩めに納まるという算段だったようですね。それでも僕は結構苦しんだ記憶があるのですが、それは何故でしょうか・・(笑)
    でも考えてみればどの子も勉強が出来るわけではありませんから、いつの時代にも一定の割合でちゃんと落ちこぼれる子だっているわけですよね。そんな子を色々な形で多くの人が日常の生活の中で目にしてきたのではないでしょうか。分かりやすい話で言うなら、世にいう不良少年の存在ですよね。リーゼントにボンタン姿の学ランくらいなら可愛いもんで、暴走族やら校内暴力なんていうニュースもよく耳にしましたよね。テレビドラマの”スクール・ウォーズ“や”はいすくーる落書“なんかはそんな問題があると思われていた子たちをある意味上手に描写した作品ですよね。また出来の悪い子の中にもおとなしい奴だっていて、”家族ゲーム“という作品はそんな子の抱える問題と社会の抱える問題を上手にあぶりだしている作品と思います。ゆとりの教育がそんな子を少しでも減らすために考えられた事なのかは本当の所ちょっと分かりませんが、何かの方法で世にいう”落ちこぼれ“を底上げしようとしたのは事実でしょうね。いや、もしかしたらむしろ問題解決の為に底上げと逆の道を考えたのかもしれませんね。そしてその方法は、こなすべきもしくは学ぶべき量を減らすといやり方だったのでしょうね。簡単に言えばハードルをどんどん下げるという方法だったのですね。ちょっと考えればわかる事ですが、やる気のない子に”やれよ!“といってものれんに腕押しですから、なら頑張れる子の頑張れちゃう範囲を狭くしてしまおうという事なんでしょうかね。

    またこれとは逆の現象とでもいうのが先程の書いた『受験戦争』から連想される子たちの話ですよね。いうなれば当時の秀才君です。ゆとり教育という事の中身には、受験による過当競争を回避すべきという議論もあったことを思い出しました。ドラマの金八先生の第一、二シリーズでもかなりこのことに触れていますよね。そう考えると”出来る“といわれた子たちも疲弊していたのでしょうね。出来る子も出来ない子も一斉に救済するために、そして多くの子が少しでも横一直線になるようにしたのが”ゆとりの教育“の核心だったのでしょうか。そう考えてしまいますよね。そうすると教育内容をなんで下の方下の方へと迂闊にハードルをいとも簡単に下げるのかという事も何となくわかる気がしますね。要するにこうやって考えると”ゆとりの教育“と”受験戦争“というワードはコインの表と裏の関係だったんですね。ただ、ハードルをどんどん下げていくという現象は、これは学力の差云々を国民が気にする側面とはまた違った視点もあったのではないかと思います。それはクレーム社会の出現ですよね。何かあればすぐに組織や学校などの社会に文句を言う。例えば教育の現場から聞こえてくる一例としてよく挙げられるのは『うちの子はよその子より足が遅いから運動会で順位を付ければかわいそうだ』とかいった内容は有名ですよね。(これは学力の話とは違いますが、分かりやすいので使ってみました。)昭和生まれの僕には到底理解に苦しむ内容ですね。そんな文句を言う親たちがまた僕と同じ昭和後半生まれなのにもガッカリしますが、とにかく教育を越えて全ての物事にクレームをつける時代の出現ですよね。そのようなクレームの根底にある発想には平等というキーワードがある事は皆さんも薄々感じているんじゃないかと思います。やはり僕たち日本人は”平等“という言葉の在り方一つをとっても、民主主義の意味を捉え間違えているんだろうなと思わずにはいられませんよね。民主主義で唱える平等という概念はとても大切な事だとは僕も思います。でもそれは横一列で皆が手を繋いで同じ速さで進むことなんですかね?日本の社会がどうしても平等という言葉をそう捉えがちなのは否定できませんよね。時と場合によっては僕だって自然にそう考える可能性も大いにありますからね。そうすると、この”平等“という言葉は厄介ですよね。その言葉をどう捉えるべきかをチョット考えてみたのですが、この場合税金を考えると分かりやすいと思います。日本の税金は累進課税という方式ですから、うんと稼ぐ人からはその所得に対して高い税率で、あまり稼げない人からは低い税率でしか取りませんよね。これは感覚的に考えても公平ですよね!誰も文句は言わないはずですよね。この方法は言い換えるならば垂直的な公平感ですよね。しかし逆にこれに文句をつけて人頭税のように”日本国民なら行政から受けるサービスが一緒なんだから納税額は所得の差にかかわらず一律にするべきだ“なんて考え方だってあって当然ですよね。こっちの場合は水平的な公平感ですよね。この税金の例えは取られるという概念ですから、貧富の差もある事ですから横並びの平等の例えとしては逆なのであまり良くないかもしれませんが、しかしこでのポイントは(この先平等を公平と言い換えますが)、公平には垂直的な事と水平的な事という対立するという二つの軸があるという事です。どちらか一辺倒な事になればこれまた極端で窮屈な話になりますが、僕たち日本人はどうも水平的な公平感をベースで多くの物事を考えすぎている傾向があると思えてなりません。そしてそんな感覚で大きな声を挙げるのは教育問題で言うなら頑張らない、もしくは頑張れない子の親達ですよね。すべての事について同じ待遇で同じ結果なんてあるわけでもないのだから、仮にそんなことが出来てもそれは人間の成長過程における子供時代だけでしょうしね。大人になりわが子が社会に出てもいつまでも子供の横に居座ってそんな事言い続けるつもりなのか本当に疑問に思えてならないんです。(実際にはビジネスの場では誰もそんな事は言いませんよね。少なくとも今の所は・・)もうこれは国全体での考え時ですよね。競争を無くして何でも平等ないし公平ということはどう考えてもあり得ないとおもいますので・・・。いずれにせよこのような状況では我々日本の若い世代の学力は落ちる一方ですよね。
    このような水平的な公平(平等)感を持ちながらハードルを下げるという行為は、誰もが同じ状態で差をなくしていくという考えですよね。でも本当に大切なのは、国民全員を水平的な状況に持っていくことではないと僕は思うんです。ここでみんなが大切にすべきことは、平等にチャレンジをする機会を与える事だと思うんです。その公平感は水平であるべきと思います。やれるだけやってみて、でも失敗する・・・。それでもいいじゃないですか。失敗してもそこから立ち上がる為に、大人に対しては国だって色々なセーフティーネットを用意していますよね。むしろ転んだら立ち上がる事を教育のなかで教えてもいいくらいだと思えてなりません。そして“明日は今日よりよくなろう”という気持ちで頑張ってきた結果が今日の日本を作ってきたのですからそれを忘れたんじゃ勿体ないですよね。20年にわたる経済の停滞がそうさせたのか、または一程度の豊かさの蔓延がそうさせたのか、いずれにしろ寂しい話になってきましたよね・・・。少なくとも教育という事の中からこのような変な公平感を取り払うことから始めないといけない気がしてならないです。教えるべき事を今一つ吟味し直して、頑張る子には大いにその場を与えてあげ、また同時に価値観の単一化を打破して目指すことができる選択肢を広げて多様化する価値観を認めていく社会にしたいもんですね・・。








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