#エッセイ(福祉)『プチ介護 』
4月の中旬に83歳になるお袋が手術を受けました。どうやら腰の骨が悪かったようで、手術をすれば一応日常の生活に戻れるという事で約3週間の入院生活を送っていました。手術も無事に終わり、とりあえずは元気になって戻ってきたのでそれはそれで良かったのですが、やはり退院後すぐには体の自由があまり利かないという事で、親父の世話もあるので私が実家に泊まり込むことになったのです。”男の俺に何が出来るのか?”と自分でも思ったのですが、それでも何かしら出来ることもあろうと思い今は一週間のうちに2泊3日で実家に泊まり込んでいます。
実際に私が実家でしている事といえば、会社帰りにスーパーに寄って食材を買う事、そして両親が食べ終わった食器洗いと台所の掃除、リビングダイニングの簡単な掃除、そして朝のゴミ出しといった程度の事です。『ほんとに役に立ってんのかね?』とは思うのですが、両親は思いのほか喜んでくれています。やはり年寄り二人で食べる食事はつまらないようで、そこに中年の(もう少しで老人ですが)息子が一人いるだけでも気分が明るくなるそうです。だから一応は来て良かったと思うのですが、やはり高齢者と暮らすということは思いの外大変です。たとえそれが自分の両親であってもこれだけ大変なのですから世の介護というのはどれだけ大変なのかと思わずにはいられません。今回はある日の晩の出来事を一例にして書いてみたいと思います。
私が泊まり込んだある日の晩のことです。父親は夜、中々寝付けないことが多いみたいで、夜の夜中まで大きな音でテレビを点けて見ているのです。それは2階の自分の部屋で見ているのですが、1階のソファーで寝ている私のところまでそのテレビの声が聞こえてくるのです。『こりゃたまらんわ!』と思って何度か注意をしに親父の部屋に行くのですが、そのたびに
『おお!そうか!』
と言って音を小さくするのですが、5分もしないでまた大音量に戻るのです。歳を重ねると人は少しわがままになるのでしょうか、私の注意も分かってはいるのでしょうが、あまり意に介さないようです。そんなこんなをしているうちに夜中の1時過ぎにはテレビも消えて“寝たな”と思って私も1階のソファーで眠りにつきました。それからしばらくすると”ズドーン”という大きな音がするので慌てて目を覚ましました。おそらくは親父かお袋のどちらかが転んだのだろうと思って急いで2階に駆け付けると転んでいるのはなんと親父でした。
どうやらトイレに行って用を足したときに下着を汚してしまったようで、自分で着替えているとき時に転んだようです。そこに私が駆けつけて『父さん、どうした!大丈夫かい?』
と声をかけると。親父は睡眠導入剤を飲んでいるからか私が誰か分からなかったようで、ギョロっとした目つきで私を見つめて
『お前誰だ!武(仮名の兄)か仁(仮名兄の息子)か?!』
と怒鳴るのです。親父は自分の目の前に現れたのが息子の次男であるという事が認識出来なかったのです。つい数時間前まで一緒に晩御飯を食べていたのに、私が家にいるという事がその瞬間には親父の頭からは飛んでいるようでした。歳のせいと薬の影響もあるのでしょうが、その時は何となく悲しい気分になりました。そうとはいえども、まずは倒れている親父を助けなくてはいけません。先ずは汚れたパジャマのズボンと下着を脱がせて新しいものに取り替えなくてはなりません。洗濯済の着替えがどこにあるのか分からないので、どこにあるか親父に尋ねると
『俺がそっちに行くより持ってきた方が早えーぞ!』
とボンヤリしながら言うのです。なんて言うかその言い方が可笑しかったのですが、“そりゃそーだ”と思ってタンスの中から探り出しました。そしてようやく下着とパジャマの下を履き替えさせると、今後はなんと
『(パジャマの)上と下が合ってないから上も替えてくれや・・』
と言いだすのです。“この状況でそんな事気にすんのかね?誰も見てねーぞ!”とも思ったのですが、少しボケているとはいえ本人たっての希望ですのでその願いを聞き入れてパジャマの上も替えてあげました。それから床に転がっている親父を抱きかかえてベッドに寝かせ布団をかけてあげました。親父も歳を取って痩せてしまっているのですが、いざ抱きかかえて持ち上げようとすると老人とはいえ大人ですので思いの外大変なのです。本人はこれまた薬のせいでしょうか、自分の意志で体を動かせないので全体重が私にのしかかります。”よいしょよいしょ”とベッドに入れながら頭の片隅では子供の頃を思い出すのです。私が幼かった頃は親父が山のように大きく見えて、休みの日には親父に片腕で抱っこなんかをしてもらっていたのに・・・。今ではこんなに弱々しくなって・・・、そう考えるとやはり世話をするしんどさより悲しさの方が優ってしまうのです。親父のこんな姿は見たくないのですが、でもこの瞬間は私だけが頼りなんですね。
布団をかけてあげて部屋を出るときに
『テレビなんか見ないで、もう早く寝なよ・・』と声をかけると、親父は弱々しく
『おお・・・そうだな・・。お前がおらんともう生きていけんよ・・・助かるよありがとう。』
と言うのです。そんなことを言いだすので、目の前で小さくそして弱々しくなった親父を見て悲哀というか哀愁を感じてしまいました。
ところがです。ベッドに寝かせて私が1階に戻ると5分も゙しないでまたテレビの大音量が2階からするのです。さすがにそれを聞いたときはズッコケそうになったのですが、まあ仕方ないかと諦めて大音量の2階のテレビを聞きながらその晩は寝ました。時計を見れば午前3時半です。あと三時間もすれば会社に行かねばならない時間です。
翌日会社から帰って夕餉の時に
『父さん、昨日は大変だったけど今日は大丈夫だったかい?』
と聞けば、親父は箸を持ったまま目を丸くして『お前は何の事を言ってんだ??』
と、本当にさっぱり覚えていないようでした。それにもさすがに呆れてズッコケそうになったのですが、まぁ仕方ありません。昨晩は薬も飲んでいたし、年齢相応に頭も少しボケてきているようですので・・。
そのやり取りを聞いていたお袋は、親父の隣の部屋で寝ていてその様子を知っていたようでしたが、自分は腰が悪いので何も出来ないし、私が何かやってくれている様だったので出てこなかった、と言っていました。まぁ合理的と言えばそうなんでしょうが、それを聞いて少しびっくりしました。ちょっとは心配しようよ!とは思ったのですが流石にそれは口にしませんでした。
私の両親はそれでもまだ自分たちで何とか身の回りの事も一応出来るし、またやる気も気力もあるので、私のしている事は介護とまではいかないのかもしれません。ですが今はまだ私自身にも体力があるので何とかなりますが,これから先のことを思うと不安は隠しきれません。ただ、ニュースなどでよく見かける介護疲れというのも分からなくはないと思うのです。家族として共有する長い時間を共に過ごし、愛情がある親子関係であっても、それが介護の時間を重ねるとともに、世話をする息子や娘達がそれを重荷に感じて、徐々にストレスが溜まり、そのうちに愛情が憎しみに変わってしまうという事なんでしょうか。
人は思い出だけでは生きていけません。私の考えでは介護とは,思い出と共に目の前の出来事に対処しないといけないのです。そのやり方(介護)を間違えたり,無理をすると親子のどちらにとってもいい結果には繋がらないと思うのです。
そう考えると、これからもっと老いていく両親とどう向き合うべきか、それと同時に自分自身の老いにどう向き合っていくべきなのか、一度しっかり考えていかないといけないと思う今日この頃です。