#エッセイ(経済)『物価上昇』

 先月中旬の日経新聞に”牛丼1杯、原価4割上昇”という見出しがありました。【価格は語る】というおそらくはシリーズ物の企画記事なのでしょう。記事による4と割上昇の内訳としては、牛肉が50%、お米が12.5%の上昇で、玉ネギが8%の下落だそうです。単純にこれらを足して引いてやると、40%にはならないのですが、そりゃそうでしょうね、一杯の丼に全部が牛肉で詰まっているわけではなく、基本はお米ですから丼一杯あたりで40%の上昇というのも分からないでもありません。ですが数年前までのデフレのニュースでは、その象徴として牛丼が取り上げられていたので、分かり易いといえば分かり易いです。
 ” 物価が上昇している・・・これも好景気の内か?”と問い返すとそこはどうも疑問です。どうやらそんなことはないみたいですね。企業が定める商品の値段には当然ですが原材料の購入費の他に人件費も入ってきます。その人件費とはいわゆる働く社員の給料そのものです。昔から賃金の上昇は物価の上昇よりワンテンポ遅れて反映されるという事は聞いていましたが、はたして現在の日本ではどうでしょうか・・・。ニュースで聞いている限りでは大手企業ではこの春からだいぶ賃上げが進んでいるようです。誰もが知っているような大きな会社では驚くほどの賃金の伸びを発表している会社もあり、うらやましい限りです。では、その他の中小企業ではどうなのでしょうか?テレビのニュースを聞いている限りでは、どうやらあまり賃金の伸びは出ていないようです。元々の給料水準も大手とは違うでしょうからこの先このような状況が続くようならサラリーマンの中でも貧富の差は大きく出てきそうな気がしてならないです。
 高度成長期の日本では物価の上昇のカーブ曲線より賃金の上昇の曲線の方が高かったので多くの人が豊かさを実感したというのは有名な話です。1968年に日本のGNPは西ドイツを抜いて世界2位に浮上し、その2年後の1970年度の国勢調査では”自分は中流である”という項目に回答者の9割がチェックを入れたことから、マスコミによって一億総中流時代という造語が作られました。これはある意味すごいことだと思うのです。私たちの国は民主主義の政治体制の上で資本主義の経済で動いています。そもそも資本主義とは、経済活動における自由競争であり、一部の勝者と大勢の敗者からなるといイメージですので、この弱肉強食の経済のシステムの中でほとんどの国民が中流を実感できたという事はそれは奇跡としか言いようがないと思うのです。実はこの言葉(一億総中流)が独り歩きをして、私たち日本人は生活の全てにおいて皆平等という幻想にかられたのではないでしょうか?そして90年にバブルが弾けて日本は長い停滞期に入りましたが、でもそれまでに培った国力のお陰でとでもいうのでしょうか、円高の恩恵にも与って景気が悪くなっても多くの国民がそれなりの水準で生活が出来ましたという実績があります。多くの人が経済的な平等という幻想に駆られたまま、ここ最近の円安を始めとする物価上昇を目の当たりにして、初めてといってもいいくらいの状況で格差が目の前に見えてきたというのが現在の日本の姿なのかなと思うのです。
 もしかしたら、これから迎えるかもしれない格差社会というのは、資本主義体制の中ではある意味正常な事なのかもしれません。そしてその中で自分が社会の中でどうふるまう(どう働く)かという事がこれまで以上に大切のなるのかなと思うのです。それを考える最初のきっかけがこの物価上昇なのでしょうか?経済の大きな流れの中で、物価の上昇を考えるなら円安や原油高などから考えるべきなのでしょうが、日常の生活のレベルで考える市民的な目線なら、どうしても給料の上り幅もセットにして考えてしまうでしょう。企業の経営者にしても迂闊には賃金を上げられないといった事情もあるでしょう。一度上げてしまった賃金はそう簡単には下げることはできません。というか、むしろ一度上げてしまったら二度と下げられないというのが本当の所でしょう。社長の頭の中で”会社に何かあった時”という事が過ると、社内にどんなに内部留保があっても”俺が社長の間は・・・”という気持ちでベースアップを見送るのも分からないでもないです・・。(私は社長じゃないですが・・笑)
 このような状況の中で、昨年から続いている物価上昇はもしかしたら”脱一億総中流”の始まりなのかもしれないと思うのです。そんな時代が来た時に私たち国民は政府に対して何を要求していくのでしょうか。さらなる福祉の充実と老後の資金を求めるのでしょうか?もしそうであるなら、累進課税による高額所得者の所得税はさらに高くなり、そのことによって何となく国民の中での所得に対する公平感は保たれるかもしれないですね。逆に国民が格差を受け入れ始めるなら何となく日本の治安は米国のように悪くなるような気がするのです。仮にこれが当たってしまうなら、もしかしたら今が時代の変わり目なのかもしれないと思うのです。あと十年ほどの時間が過ぎて今日の状況を振り返った時に新聞やニュースは今の時代をどうやって総括するのでしょうか・・・。


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