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就活を今している活動の1つに過ぎないと捉えてみた

こんばんは。

夜灯(やと)です。


就活に苦しみ喘ぐ中、

視点を変えられるかもしれない考え方が

浮かんできたので書いてみます。

ただ、これは綺麗事かもしれないし、

私も別に特別しっくりきている訳でもないのですが、

このままこの考え方を忘れてしまうのは勿体ない気がしたので、

書いてみたいと思います。


その考え方と言うのは、タイトルの通り

「就活はあくまで私が今している幾つもの活動の一つでしかない」

と捉えることです。

これは就活に限らず応用できるのでは、とも思っています。

私にとって就活は今している活動の主軸で、

これに失敗したら終わりだ、と考え、

上手くいかない現状に苦しんでいます。

でも、ふっと自分から抜け出して、

私が今している活動の全体像を眺めてみたんです。

就活
友達と話すこと
大切な人と心を通わすこと
今日も家族といること
noteで出会った方と交流すること
バイトで仲間や新しい人と交流すること
音楽や本が心の琴線に触れ、思いを巡らすこと
noteに記事をあげたり、誰かの記事に心動かされること
桜の素敵な撮り方を探すこと
ベランダから夜の街のキラキラを眺めたり、星を探したりすること
ただ毛布の匂いに安心すること
etc...

「活動」と言うと大それたことのように聞こえますが、

私の「今」を構成する身体的・精神的な行動全てを指しています。

こうした活動全てに等しい価値があって、

就活だけに囚われるのは違うのかもしれない、

とふと思いました。


それと、もう一つ。

私はどうも結果を求めてしまう考え方の癖があり、

就活で良い内定先をもらう、とか

バイトで一番稼ぐ、とか

そういった分かりやすい結果に囚われてしまいがちです。

でも、自分で自分という存在を価値づける時に

「いかに心の琴線に触れる出来事に出会ってきたか」

ということが私にとってとても大きな意味を成すのです。

何かが心の奥底を揺らし、新たな考えや気持ちに出会う。

それでこそ、内なる豊かさが育まれて、

誰かと話す時、より厚みのある話ができるようになる。

そう考えると、就活中の生きづらさがあるからこそ、

友達に自分のより深い部分を見せることができて、友達の言葉に救われたり、

偶然的かつ必然的に大切な人と心が通じたり、

noteを始めて救われたり、

他にも沢山心の琴線に触れる何かに出会えて、

より好きな自分になれたのです。

だから、辛い時期だと思っているけれど、

実は幸せなこともいつも以上に起きている気がします。


長くなりましたが、

大事に抱えて苦しんでいる、その活動は、

なにもそんなに近くで見つめる必要はなくて、

そっと宙に浮かべれば、

「今」を構成する等価な活動の一つに過ぎないかもしれないし、

つらさが同時に幸せを運んで来るのかもしれない、

というお話でした。

この記事が誰かの心の琴線に触れればいいな。


それでは、また次回お会いしましょう。

夜灯(やと)でした。

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