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自由すぎるという「不自由さ」

こんばんは。

夜灯(やと)です。


ここにこうして話している時間だけは、

自由と不自由のバランスがちょうどよくて

落ち着きます。

何を書くのも自由だけど、

一つの記事にしなければいけない不自由さがあって、

読んでくれる人がいるという未来の幸せをつくることができる時間。


就活をしていると、

色んな選択肢がありすぎて、

情報の正誤も自分にあった応用の仕方も分からなくて、

迷走してしまいます。

今やっている「ここは今から倫理です。」というドラマ、ご存知でしょうか。

面白いし、山田裕貴さんの演技もやっぱりお上手で見入ってしまうのですが、

作中に

「映画を観ている時間は不自由だが素敵な時間だ」

というような言葉が出てきたことをふと思い出しました。

それを聞いた時、素敵な考えだと確かに感じたのですが、

自分の現状について考えている時間にふと思い出して、

とても自分にすっと当てはまるような感覚がしたというか。

シングルマザーで帰りの遅いお母さんとの二人暮しがさみしくて夜遊びをしてしまう少年と

就活の行く末が見えない私とでは

置かれている状況が違うのですが、

自由すぎる不自由さに疲れてしまっているという悩みの本質的な部分が同じ気がしました。

受験勉強の方がすべきことがまだ分かりやすくて楽だったような。

でも、そんなこと言ったら過去の自分に怒られる気がします。笑


今感じている、このどうしようもない気持ちも

人生という大きな流れの不自由さ

なのでしょうか。

また自由な時間を今まで以上に自由だと

噛み締めるための不自由さなのでしょうか。

だとしたら悪くないのかも、ですね。

ちょっとはプラスに感じることができたので、

ここに記しておきたくなりました。

読んでいただき、ありがとうございます。


それでは、また次回お会いしましょう。

夜灯(やと)でした。

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