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とりとめもなく、映画について思うことを

人並み以上には多くの映画を観てきたという自負があるものの、「好きな映画は何ですか」という問いに対してまともに答えられたためしがない。
愛すべき映画作家の名を挙げれば止まらないのだが、個々の作品ついて問われると途端に沈黙してしまう。

別に過剰なまでの作家主義批評を支持しているわけでもないし、「好きな映画」という曖昧すぎる概念に異議を申し立てているわけでもない。
にも関わらず、私は個々の作品の話になると途端に語る言葉を失ってしまう。
なぜなら、私は「映画を観た記憶」を愛しているのか、それとも映画そのものを愛しているのか、未だにわからないからだ。


少し前の話だが、京都みなみ会館が閉館した。
京都大学からも同志社大学からも微妙に遠いらしいこの映画館は、多くのシネフィリーに愛されていたと聞く。
そんな京都みなみ会館で、私が敬愛してやまないニコラス・レイの遺作、"We Can’t Go Home Again”がかかった日がある。
上映後の解説は、やはり私が敬愛してやまない加藤幹郎だった。その様子を収めた動画には、夜更けのみなみ会館でスクリーンの前に座り、あの不機嫌な声で話す加藤幹郎の姿があった。
ニコラス・レイにある種の偏愛を寄せていた加藤幹郎が日本の映画界に及ぼした影響は計り知れない。彼の教室で学んだ数々の俊秀が日本の映画批評を支えているといっても過言ではないし、その著作に刺激を受けた観客も多い。そのことを考えれば、この日も京都中のシネフィリーが自転車で駆けつけたであろうことは想像に容易い。
みなみ会館はそんな映画館だった。

もっとも私は、みなみ会館に行ったこともなければ、加藤幹郎の講演を直接聴いた経験もない。
しかし、そのピンポイントな映画体験が間違いなく誰かの人生に大きな影響を与えたであろうということはわかる。
映画館には、言葉を超越した貴重な映画体験を引き起こす磁力が充満している。


私がはじめて"We Can’t Go Home Again”を観たのは、本格的に夏入りする直前のある日の夜更けのことだったように思う。
DVDを再生すると、示し合わせたかのようにエアコンが派手な音を立てて壊れた記憶がある。
エアコンの水漏れをガムテープやら何やらで抑えながら蒸し暑い部屋で観た"We Can’t Go Home Again”は、なんとも不思議な映画体験だった。
シネマ・ヴェリテの亜種ともいえるようなドラマトゥルギーを持ちながら同時にフレームという概念を取り崩していくその実験性に舌を巻いた。
それ以上に、赤い服を着たニコラス・レイとトム・ファレルが語らいながら歩くシークェンスに涙した。
"Don’t expect too much”というしゃがれた"ニック”の声が壊れたエアコンを湛えた部屋に響いて、その穏やかな空虚さと諦めが私をそっと抱きしめてくれた。


我々はシネマテーク・フランセーズのバスタブに人生を囚われたこともなければ、日比谷映画の壁をよじ登ったこともない。テレビをつけっぱなしにしていたらテオ・アンゲロプロスが流れてくるという経験もないし、渋谷のTSUTAYAは潰れて、地元のレンタルショップにはジャニーズ映画とスピルバーグしか置いていない。
映画が圧倒的なまでの重みと豊かさを湛えていた30年代〜90年代までの60年間を振り返るのはよしておこう。
それは偽りの郷愁に身を浸らせる愚かしい行為でしかないし、何より我々が生まれた時代というのはあらゆる意味であまりにも貧しいのだから。
そんな貧しさのなかにあって、なぜ我々は飽きもせず映画を観続けるのだろう。
楽しいから?おもしろいから?美しいから?
言葉にするのはしっくりこない。
映画とはいつも言葉を超えてくるものなのだから。

おそらく、何のために映画を見るかという設問そのものが、どこかで事態を曖昧にしてしまっているのでしょう。何のために、ではなく、たまたま一篇の映画を見てしまったわたくしたちが、そのしかるべき細部に接した体験をどのように消化し、そこから何を吸収できるか、あるいは自分の無力さをどのように処理するかという立場に立つべきなのでしょう。つまり、現実に見ている画面の何に突き動かされ、その高揚した心をどのように鎮めることができるのか、あるいはできないのか、と問うべきなのです。

蓮實重彦『ショットとは何か』より

京都みなみ会館とニコラス・レイのために

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