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【本】パリオリンピック閉幕日に「新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ」を読了

パリオリンピック2024が閉幕しました。
今回のオリンピックは開会式から競技まで
パリの美しい街並みの中で行われ
賛否両論いろいろ騒がれていましたね。
そんな中で発売された本
「新凱旋門物語」を手にし、
読み始めたがこれがかなりの面白さ。

新凱旋門 「ラ・グランダルシュ」La Grande Archeは
フランス革命200周年を記念する、
国のシンボルとなるべき
第3の凱旋門として1983年から建築されました。
ルーブル美術館とチュルリー公園(今回のオリンピックで聖火の気球が置かれた公園)の間にあるカルーゼル凱旋門、
シャンゼリゼ通り上にあるエトワール凱旋門、
そしてそのの奥に見える正八胞体 (本来は正方形の多面体)の凱旋門。
この3つの凱旋門は、実は一直線に見ることができます。

1980年代、当時のフランス大統領のミッテランにより
「パリ都市再生計画」の一つとして、
国際コンペが成されデザインが決定したものでした。
コンペで選ばれたのは、
デンマーク人設計士
「オットー・フォン・スプレッケルセン」
彼は、実は自宅と4つの教会(しかもデンマークで)を設計、
建築物として
これだけ大規模な建築物を
実現した経験がなかったのです。

この国家の権力まで掛けた歴史に残るプロジェクト
「ラ・グランドアルシュ」
設計から、実際の建築物を作るまでの過程で、
様々なトラブルが発生。
当時はネットも発達していません。
「じゃあ、ネットで確認してね」なんてことは皆無。
図面をひいて、そして面と向かってのやり取りがほとんど。
スプレッケルセンは、
パリに住まずこのプロジェクトに参加しました。

フランス側も、そしてスプレッケセンも
外国語である「英語」でのやり取り、
工期、予算、開発業者の思惑、大統領の意向。。。。
この建築は一筋縄とはいかず、
スプレッケルセンは、自身の建築物の完成を見ることもなく
前代未聞のプロジェクト途中で設計を辞任、
そしてなんと、その2年後に他界してしまうのです。
彼はフランス人の仕事のやり方に悩み、そして苦悩します。

ときおり、彼(*スプレッケルセン)の苦悩が感じられる。そして彼を辞任に、しかもひどいやり方で追いやった終わりなき対立にけりがつけられていないことが感じとれる。口調に苦さはない。だが言葉は厳しい。「フランス人」というときの独特の口ぶり。「フランス人は決定するのが苦手だ。共通の基盤が欠けてる」「フランス人は絶えず変更したがる」「契約は破られるために交わされる。そう、フランス人が好きなのはそれなんだ」

p42

本書はフランス側から書かれたものですが、
決してフランスだけがこの亀裂を作ったとは言い難く。
デンマークの経験不足な設計士は、美を求めるあまり、
現実に建物として建てられる際に起こりうるであろう
安全性や耐久性、予算などによる変更を一切受け入れません。
そして彼には、フランス人が理解できない人種と映ってしまうのでした。

わたしたちフランス人、自分たちを合理主義者で計画的、要するにとても頭がいいと考えているフランス人には信じがたいかもしれないが、わたしたちは隣人の多くの目に、情熱的でイデオローグで空言を並べ立て興奮しやすく個人主義者で、つまりはあてにならない連中に映っている。 

p135

度重なるトラブル、苦悩、
そして設計士が途中で辞任してしまうという
想定外のトラブルにも関わらず、
プロジェクトを進めてきたのは
フランスの建築家ポール・アンドリュー
彼はスプレッケルセンの設計を尊敬しながらも、
建築物を実現へと導くため、いくつもの調整・変更を行っていきます。
この本を読んでいると、
さながらフランス版「プロジェクトX」のよう。

そして短い工期の後、
1989年7月14日 革命200年周年記念式典を迎えます。
朝 約80万人がシャンゼリゼで軍事パレードを観覧、
午後 第十五回目 世界最富裕国7か国のサミットがルーブルで開幕
ミッテラン大統領はピラミッドと地下室の落成式を執り行いました。
そしてその翌日7月15日、
各国の首脳、その随行団と全世界の報道機関は
《ラ・グランアルシュ》に集まり、アルシュの上まで移動したのだった。
そこから見るパリはそれはそれは素晴らしく。
一直線に見えるエトワールの凱旋門、
チュルリー公園のカルーゼル凱旋門、その先にはルーブル美術館。
そしてエッフェル塔、モンパルナスタワー。。。。
新たなパリを見つけた瞬間だったのだった。
7月18日、《ラ・グランダシュル》の公式竣工式と続きます。

波乱万丈に作られた、新凱旋門、ラ・グランダルシュ。
ですが、その風貌と美しさは何とも言えず。
二次元と三次元をつなぐような、
歴史と未来をつなぐような、
不思議な歴史的建造物であることは間違いありません。

≪アルシュ≫が今日あるとおりのもの、これほど力強く、これほど独創的なパリの門でありえるのは、スプレッケルセンが経験不足で、不合理で、非順応的で、常軌を逸した自惚れ屋だったからである。公開コンペは風通しをよくし、新しいものを、危険を招く。それはイカロスにチャンスを与える。

p454

55章、450ページにも及ぶ本なのですが
1章1章が短く、そしてトラブル続きなので
一気に読み終えてしまいました。

パリオリンピックが閉幕した日に読了したのも不思議。
心はフランスに寄せながら。


金子靖さんのnoteでのご紹介が素晴らしくわかりやすいです!


《追記》
91年に訪れていました!
今日写真を見つけてびっくりです。

何故か兵隊さんと撮影?
ラ•グランダルシュの中
直線の道にエトワール凱旋門、カルーゼル凱旋門が見えます

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