見出し画像

古森科子評 ロランス・コセ『新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ』(北代美和子訳、草思社)

スプレッケルセンと新凱旋門――大型建造物が我々に問いかけるもの

古森科子
新凱旋門物語 ラ・グランダルシュ
ロランス・コセ 著、北代美和子 訳
草思社

■一九八七年三月十六日月曜日、ひとりのデンマーク人建築家がこの世を去った。ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン、一九八三年五月にフランスで開催されたテート゠デファンス国際設計競技で最優秀賞を受賞した人物だ。テート゠デファンスはパリのデファンス地区にある広大な区画で、十五年ものあいだ、さまざまな企画が提案・検討されるが実現には至らなかった。一九八一年、大統領に就任したフランソア・ミッテランは、そこに後世に残る記念建造物を建てたいと願い、翌年に国際設計競技を開催した。四百二十四件の応募作の中から選ばれたのがスプレッケルセンの設計した美しき立方体《アルシュ》だった。
『新凱旋門物語』は、ミッテラン率いる都市再生プロジェクト「グラン・プロジェ」の国際コンペに選出され、一躍時の人となったデンマークの建築家が携わった大型建造物にまつわる物語である。第一部「あの日、ぼくらは幸せだった」と、第二部「醜悪だった」からなり、第一部は、スプレッケルセンがプロジェクト開始直後から数々の難局に直面し、事態が複雑を極めるなか絶望して表舞台から退くまでを、第二部は、彼の撤退後も続行された《アルシュ》建設の経緯について、著者ロランス・コセが詩情あふれる表現をちりばめて丹念に綴る。
 当時無名に近かったスプレッケルセンは、国際コンペ受賞の喜びに浸ったのも束の間、政治や文化、ビジネス慣習など、ありとあらゆる相違に翻弄される。そこに政治的思惑、技術上の問題、関係者たちの私利私欲までもが加わり、完璧を期する彼の性格と建築家としての経験不足も相まって、みるみる周囲との齟齬が広がっていく。
「グラン・プロジェ」は、フランス革命二百周年を祝う一九八九年七月の二百年祭までの完成を目指して始まったプロジェクトで、歴史的建造物の建立という名分こそ立派だが、具体的な活用法や建物としての実現性について事前に十分検討されることなく、さまざまな問題を抱えたまま着工された。物語前半は、彼の強力な理解者であったミッテランが政権交代するという無情なクライマックスで幕を閉じる。
 生前のスプレッケルセンを撮影した、現存する唯一のドキュメンタリー・フィルムを制作したダン・チェアニアによると、スプレッケルセンは「デンマークでは丹念に細かく仕事をする建築家として知られていた。教会作品ではすべてを設計し、(中略)すべてに目を配った。(中略)煉瓦ひとつひとつの積み方を自分で決めた」。そんなふうに丁寧かつ真摯に作品と向き合うスプレッケルセンが、祖国とまるで勝手の違う異国の地フランスで、変更につぐ変更にとまどい、要望や提案は次々とはねつけられ、挙句の果てに自分に相談なく現場が進行するさまは、読んでいてやるせなく、無力感に襲われる。自身の《アルシュ》が変容されることに対する彼の怒り、落胆、無念は察するに余りある。さらに一九八六年三月には、そうした鬱屈した状況に追い打ちをかけるかのように政権が交代する。同年六月、施主に撤退の意思を伝えたスプレッケルセンは、同年七月に事実上辞任する。
 辞任後も悲劇的な運命が彼を待ち受けていた。国際コンペに連名で応募したエンジニアのイーリク・ライツェルとは、意見の相違から永遠に袂を分かつことになる。そのうえ病気が発覚、辞任から一年も経たないうちにスプレッケルセンは帰らぬ人となる。
 とはいえ、スプレッケルセンに向けるべきは哀れみの目だけではない。彼はフランスの法規を知らず、大型の実作経験がなく、自由に使える組織設計事務所も持たなかったため、経験豊富な建築家ポール・アンドリューと共にプロジェクトにあたることになる。シャルル・ド・ゴール国際空港のほか、世界各地の空港を多数手がけていたアンドリューは大型の施工に慣れ、フランスの法規と慣習を熟知していたからだ。だが、才能と技術と経験を兼ね備えたアンドリューの助言をもってしても、スプレッケルセンが完璧主義の手綱を緩めることはなかった。
 小説家の佐藤春夫は、小説とは「根も葉もある嘘」であると言ったとされる。だが、著者ロランス・コセが約一年にわたって行った綿密な調査に基づく同作品から「嘘」を読み解くことは難しい。とはいえ、本文にも記されているように、小説という形を取らざるを得なかった同書のやむを得ない事情を鑑みると、《アルシュ》プロジェクトがヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンのみならず、彼の家族、とくに妻のカレン・フォン・スプレッケルセンに与えた影響の深刻さを感じずにはいられない。こうした難題に、かのアントワーヌ・ド・サン゠テグジュペリを大叔父に持つロランス・コセは果敢に挑み、静謐だが力強い筆力と、エスプリに富んだシニカルな心理描写で応え、上質な小説へと昇華させた。
《アルシュ》の建設はスプレッケルセン亡き後も着々と進められ、一九八九年七月の二百年祭で初披露された。カルーゼル凱旋門とエトワール凱旋門の延長線上に位置し、幅一〇八メートル、高さ一一〇メートル、奥行き一一二メートルの大きさを誇り、突き抜けるような巨大な空洞が中央にある正八胞体のこの建造物を、フランスでは《ラ・グランダルシュ》または「デファンスの大きなアルシュ」と呼ぶ。だが、デンマークでは誰もが「スプレッケルセンの凱旋門」と呼んでいる。今年七月、一九二四年に続き百年ぶりにパリで開催されたオリンピックでも、《アルシュ》はかの地を訪れた多くの人々の目を引いたことだろう。
 完成したこの建造物は「魂を奪われた空箱」であり、もはやスプレッケルセンの作品ではない。だが、ひとつだけ確かなことがある。たとえそこに彼の魂はなくとも、スプレッケルセンという偉大な建築家が存在した証として、《アルシュ》はいつまでも人々の記憶に留まり続けるだろう。本書は、その証を裏づける重要な役割を果たしている。
 (翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3651・ 2024年8月10日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?