<第1章:その5>祖父との対話で立ち直る
いちばん大きな決断と言えば、父が失敗して倒産したときに墓石屋を続けるのか、それとも別の会社に入ってしまうのかどうか、の選択でした。父には大きな借金(帳簿上で1億円くらい)もありましたし、当然、妻も生活のために働いてほしいと言いますし、ひじょうに迷ったのは事実です。
借金は父の借金ですから私は知らぬ顔で別の会社に入って生活してもよかったでしょうが(事実、友人たちからは、そちらをすすめましたが)、知り合いに借金を残したまま、のうのうと私だけが暮らしていくことはできません。
それに、小学校の卒業文集に「夢は墓石屋になること」と書いています。自分で選んだ職業なのに、この程度の困難で辞めてしまうのか、夢を捨てるのか、そういう迷いもありました。
このときも私はお墓に行きました。そして、矢田石材店を創業したおじいちゃんと、多く対話しました。おじいちゃんは私が生まれて半年後に亡くなっていますから、直接は知りません。写真で顔を見ている程度ですが、自分の考えをすべて正直に心の中で伝えて、
「どうしたらいいだろう」
と問いました。
おじいちゃんに問うているのですが、もちろんすべては自問自答です。
ずっと考えていったときに、おじいちゃんはなぜ3代目に俺を選んだのだろうということが頭に浮かびました。それにはきっと何か意味があるのだろう。だから、小学校の卒業文集に、あのようなことを書き、実際に大人になった自分はおじいちゃんと同じ仕事をしているのだ、と。
どうやら自分はこの仕事をするために生まれてきたのだから、この程度のことで投げ出してしまうのでは、何かほかの仕事を始めても、うまく行くはずがない。そういう結論に達したのでした。
それで、すでに述べたようにお墓そうじから始めて、何とか矢田石材店を持ち直したのです。仕事が安定してしばらくしてから、再び創業者である祖父のことが気になりました。
そこで知る祖父のことを菩提寺の和尚さんや縁のある方に、どんな人であったかを聞いて回りました。晩年は糖尿病だったようです。体がやせ細って、すっかり体が言うことを聞かなくなっていたのですが、あるときに、お寺の墓地に突然、姿を見せたそうです。
そして自分が建てたお墓をそうじしていったと聞かされました。死ぬ間際に墓地にあらわれて、お墓のそうじをして、そうして息絶えたということは、なんて墓石屋として格好いいんだろうと思いました。
それにもまして、お墓のそうじからスタートした自分と重ね合わせて、「やはり、間違っていなかったんだ」と確信を得ました。そういう人の孫に生まれたのであれば、自分も墓石屋を続けていって大丈夫だ、うまく行く、私もお墓をそうじしながら死にたいものだ、と思ったのです。
お墓というのは、このようにさまざまな場面で、人の心をきれいにし、真の姿を現させ、人をまともな考えに向けさせる力を持っているのです。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ
お墓は愛する故人そのもの
・第1章
墓碑は命の有限を教えてくれる
死ぬな、生きて帰ってこい
どこでも戦える自分になれる
お墓の前で心を浄化する
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