<序章:その9>再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』
お墓は愛する故人そのもの
日本人のお墓との付き合い方は、お墓に対して心を投影するものなんだな、という傾向を強く感じました。
足の悪い人が、「お墓を見たら下の方に苔が生えていた、だから足を悪くしたんじゃないだろうか」と思ったり、親が脳梗塞で倒れた人が「墓の頭のあたりが欠けている。親が倒れたのはそのせいじゃないのか」と考えたり、実際に私に相談に来られた方の話なのですが、いずれも心の思い、考えを墓に投影しているのだと思います。
むろん、こうした投影には科学的な因果関係はありません。ただ、だれもが漠然と気持ちの中に抱えている、お墓に対する尊崇や惧れといったものの表れには違いないでしょう。
それは私たちが大切にしなくてはならないことです。
お墓のそうじをしているときに、ある方が、
「うちのおじいちゃんをきれいにしてくれて、ありがとう」
とお礼をおっしゃいました。
これもまた心の投影のひとつであって、その方にとっては単純に石の一種ではないのです。おじいちゃんなのです。同じように、だれにとってもお墓は、おばあちゃんであったり、お父さんであったり、私のように母親であったりするのです。
つまりは、お墓は石というよりも故人そのもので、しかも、手を合わせて、拝む対象です。これは私たちにように、お墓に関係した仕事をする人間にとって、とても大切なことです。
ですから、当然の話ではありますが、工場にある、墓石となる原石に腰を掛けるというようなまねはしません。踏んだりもしません。私自身が率先してそれを守りますし、弟子たちにも強くそれを言い聞かせています。
また、お墓をつくる際にも、職人に図面をただ渡すのではなく、どういう方が施主様で、だれのためにお墓を建てられるのか、どんな気持ちでこの形に至ったのかを十分に説明し、だから大事に作っていこうね、と語りかけます。
つくる方の気持ちがいちばん重要で、私たちにしても、手を合わせていただくものだという思いでつくらないと失礼に当たります。
かつての時代、私の祖父よりもっと以前の時代であれば、お墓のほしい人が来れば、石屋は自分で石を切ったり削ったりして、お墓をつくったでしょう。もっと前の時代ならば、墓石屋という商売そのものがなくて、祖先を祀ろうとする方は、自分で石をどこかで探してきて、ポンと置いた石がお墓だったりしたわけです。
しかし、墓石屋という商売が成り立つようになって、昔は手作業だったことが機械化されて、大量生産されるようになってしまいました。分業化が進んで、霊園墓地開発がゼネコンの仕事になって、効率化が追及されるビジネスになってしまったのです。
その中で石屋も変貌していったのだと思います。心を込めてお墓をつくるということが、しだいに失われていったのでしょう。
ただ、時代がどう変わろうと、お墓が手を合わせて拝む対象であることは変わりませんし、お墓を建てようとする施主様の気持ちがいちばん重要であるということも変わりません。私たちは、それを第一に考えながら仕事をしなくてはならないと心に決めているのです。
また、このあとの章では、お墓参りで心が強くなる方法をステップを踏んでご紹介していきます。第1章は祖先や故人を「感じる」ことから。ついで第2章では「想う」こととはどういうことか。3章では実際にお墓を「訪れる」方法を紹介。4章では「清める」とし、お墓そうじの基礎知識を伝授します。そして、5章・最終章では「つながる」「強くなる」お墓参りの考え方を解説します。
「感じる」→「想う」→「訪れる」→「清める」→「つながる」→「強くなる」。この6つのステップが、あなたの心を強くして、人生そのものをひらいてくれます。
<「序章」完。第1章につづく>
「再録『心が強くなるお墓参りのチカラ』」は、月曜日に不定期(2週間おきくらい)でリリースする予定です。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ