<第1章:その4>お墓の前で心を浄化する
現代人はさまざまなストレスを抱えています。先の見えないもやもや感、不安感、焦燥感は、昔の人に比べて、絶対に多くなっていると思います。
父の会社が潰れた話はしましたが、そのときに私自身も半年くらいまったくお金を稼げず、たいへんな貧乏をしました。結婚していましたが、生活費にも事欠いた時期がありました。妻が車をぶつけられて、補償でもらったお金で食べているようなときもあったほどです。
そんなある日、たまたま妻と買い物に行ったときに、流行の小龍包屋さんがあって入ったのですが、結構値段が高いことに気づきました。確か一皿3個くらいで、500円くらいしていました。
とても妻と1皿ずつ、つまり2皿も買うお金がありません。1皿だけ買って、それを2人で1個ずつ食べて、最後の1個を半分にして分け合いました。
そういう時代でしたが、今思うとそのころのほうが、心は健全だったと思います。今は会社もそれなりの規模になって、人も雇っています。守るべきものが増えるといろいろな責任がのしかかってきます。ストレスも大きくなります。
そんな中で行き詰まったり、つらいことがあると、何よりもお墓参りに行くことにしています。お墓の前では嘘をつく必要もないし、隠し事をしても無駄です。ありのままの自分になって、自分との対話ができます。すると、自分の考えていることがクリアになってくるのです。
それは心の浄化だと思います。
曇った目で見るのでなく、澄んだ心に戻って、それで決断していくので、結論が正しい地点に落ち着くのでしょう。
だから、仕事の件で何か決断しなくてはならないことがあると、私の足はお墓に向かいます。しんとした静寂な中で、瞑目し、合掌して、自分がやらなくてはならないことは何かを自らに問います。
二つの選択肢があるとしたら、その二つを実行したときの自分の対応について考えるのです。他に誰もいませんし、邪魔になるような音も物もありません。じっくりと自分とひたすら向き合って、どちらを採り上げるかを熟考します。
すると、こちらであればかなり頑張れるだろう。一方で、こちらの選択であれば、自分の性格からして無理があって、どこかであきらめてしまうことになりかねないだろう。そういうことが、次第にはっきりとわかってくるのです。
これは素直な自分と対面しているためだろうと思います。
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ
お墓は愛する故人そのもの
・第1章
墓碑は命の有限を教えてくれる
死ぬな、生きて帰ってこい
どこでも戦える自分になれる
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