<第1章:その1>墓碑は命の有限を教えてくれる
今の日本を救うのは、お墓参りしかありません。
このことは重要なフレーズなので、私は何度でも繰り返したいと思います。
たとえば、現在のわが国では、命を大切にすることの重要性を若い人たちに伝えなくてはなりませんが、命は大切だと、いくら声高に叫んでみたところで、なかなか伝わりません。しかし、お墓参りに行くことで、命が有限であること、だから大切にしなくてはいけないことがよくわかるのです。
その理由を、弟子の事例で申し上げます。
前述しましたが、私の弟子のひとりは、ひきこもりでした。
彼は、たまたま縁のある方から、家から出ようとしない、どうしようもない子がいるけど、矢田さんのところで修業させて立ち直らせてくれないか、と依頼されて引き取った人間でした。
会ってみると、なるほどひどいものでした。あいさつはできないし、人の顔を見ようともしません。弟も一緒に会ったのですが、弟は会社に入れることに反対しました。入れても苦労するだけだというのです。
私は自分自身、少々変わり者と人に言われているような男ですから、「いいじゃないか」ということで、雇ったのです。
ニートとかひきこもりのような人は、自分をたいへん低く評価しているようなところがあります。自分は、社会的に存在意義がないと思い込んでいます。ここを直せばいいのですが、お墓を建てるという仕事は、建てた後でお客さまに感謝をされることが多いのです。
そういう仕事を経験すれば、多少は変化するだろうという読みもありました。
そこで、入社した彼に、すぐにやらせたことが、お墓そうじでした。
そうじをする前に、施主様の承諾をいただいたお墓に連れて行き、そのお墓を含めていくつかのお墓を見せました。
お墓の横には、たいてい亡くなられた方の名前と日にち、年齢、戒名などが刻まれています。
それをまずよく見せるのです。
年齢を見ると、70いくつ、80いくつとご高齢の方が多いのですが、中には、20歳とか、5歳、あるいは当歳、生まれてすぐに亡くなった方とか、そういう方の年齢も刻まれています。
それを前にして、彼に「お前、何歳だよ」などと聞いて、
「このお墓にある年齢を見ろよ、10歳だぜ。お前より、だいぶ若くして亡くなった人が、いるんだぜ。はかないよなあ」
死の話を雑談風にしていきます。
ニートなどをしている人たちというのは、生きている時間がいつか無くなる、命が終わる、自分が死ぬ、ということがまったく認識できていないのです。だから、引きこもったりして無駄な生き方をしていても、そのこと自体がわからないのです。
しかし、この人生には限りがある、ということをきちんと認識さえできれば、それなら真剣に、一生懸命に生きてみようという方向に考え方を振り替えることができるのです。
「お前も命を大切にしろよ。誰もがいつ死ぬかわからないんだよ」
そういう話が、自然に、まじめに、できるのがお墓の前なのです。
自己存在感の薄いニートやひきこもりが、自分の存在を肯定できる経験をするのも、お墓あってこそです。
彼のお墓そうじの話は第2章でご紹介します。
<つづく>
<前回まで>
・はじめに
・序章
母が伝えたかったこと
母との別れ
崩れていく家
止むことのない弟への暴力
「お母さんに会いたい!」
自衛隊に入ろう
父の店が倒産
無償ではじめたお墓そうじ
お墓は愛する故人そのもの