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離島で気づいた「僕しかできないこと」

 愛知県豊田市の顯正寺にはヤギがいる。住職の中根浩正さん(54)は、大学生時代に沖縄でシカの生態を研究していたという経歴の持ち主で、ペット供養もしている。動物だけではなく、2010年に7代目の住職となって以来、境内でさまざまなイベントも開く。「去る者は追わず、来る者は拒まず」という姿勢で、お寺の再生に取り組んでいる。


「ヤギを見たい」と、お寺訪問

 ――ヤギを飼っているんですね。いつからですか?

 「5年くらい前からかなあ。坊守(妻)の友だちがヤギを飼っていて『子ヤギが生まれたけど、どう?』 みたいな感じで。2頭を飼い始めて、今は4頭。この地域は法律で4頭までしか飼えないんですよ。初心者が飼いやすいのは去勢したオスだそうで、うちはすべてそうです」

 ――飼い始めてお寺は変わりましたか?

 「子どもがヤギを見たいというから一緒に来た、と言って、お寺にいらっしゃる方もいます。そういうきっかけになっている。ここのお寺は檀家さんがいなかったんですよ。一つには、お殿様の菩提寺だったこと。お殿様の専用の寺ということですね。二つには江戸時代後期まで空白期間があったこと。その辺りが理由だと思います」

中根浩正住職に甘えるヤギ

岩倉城主の菩提寺として創建か

 ――お殿様とは?

 「伝わっている話だと、戦国時代の末期、岩倉城の城主の菩提寺としてスタートしたらしいんですよ。お寺の近くに碑がありますが、城主の戸田又兵衛という人が関ケ原の戦いに行って、戻れなかったという説があって、お殿様がいなくなったため菩提寺は寂れてしまった。しかし、江戸時代の後期、文政2(1819)年だったかな、浄土真宗のお坊さんが、ここにお寺があったんだな、ということで再建したのが顯正寺のようです。しっかりした記録は残っていないのですが」

戸田又兵衛の碑

 ――こちらの住職になったのは?

 「母親の実家なんですよ。一人娘で、婿を取らずに嫁に行って、同じ豊田市内の車で20分くらいのところで生活していました。僕は三男で、週末は二人の兄と一緒にお寺へ遊びに行って、だれか一人が泊まって、という感じでした。顯正寺の先代の住職は祖父です」

泣く祖母に「僕が寺を継いだる」

 ――三男で、おじいさんのお寺を継いだのですね。

 「中学生のころだったかな、お寺の井戸のそばで祖母が泣いているわけですよ、お寺を継ぐ人がおらんと。兄たちから継ぎたくないと言われたのかもしれません。それで、だったら僕が継いだるわ、って言ったんです。勢いで。正式に跡を継いでくれと言われたのは、大学に入学する前後だったかなあ」

顯正寺の中根浩正住職

 ――大学ではなにを専攻されたのですか。

 「沖縄でシカの研究をしていました」

 ――お寺とはまったく別の道ですね。

 「高校時代、生物の科目が好きで、得意でした。小学生のころ、飼っていた犬が死んだときに、苦しんでいる姿や獣医さんの仕事を見て、獣医になりたいと思っていたこともありました。琉球大学の理学部生物学科(現在は海洋学科と統合され海洋自然科学科)に進んで、慶良間諸島にいるケラマジカの調査、研究をしていました。那覇から高速艇で1時間ほど。ダイビングをする方なら必ず知っている、世界でも5本の指に入る透明度の海に囲まれた島々です。僕が調査フィールドにしていたのは阿嘉島です」

沖縄の離島でシカの基礎研究

 ――どんな研究ですか?

 「基礎研究です。それまでケラマジカの研究をする学生はいなくて。僕が初めてだったんですよ。まず痕跡調査とか、数を数えるところから入るんです。それ以上の研究はデータがそろってからの次のステップなので。まず頭数を数えて、2時間おいて、また数える。それの繰り返し。間の2時間で痕跡、ウンチですね、なにを食べているのかを調べる。
 昼はいいんですが、問題は夜です。沖縄なのでハブがいます。毒性の弱いサキシマハブですが、私たち学生にはかまれた時に使うキットが支給されており、夜は森に入らないようにしていました」

 ――沖縄での研究生活が、今につながっていることはありますか。

 「ありますよ。夜の2時間がヒマなんですよ。当時、ウォークマンはありましたが、今のような何百曲も聴ける音楽プレーヤーはないし、スマホもない。夜空を眺めたり、月明かりの下で草を食べているシカを見たりしているわけです。
 顯正寺に入ると決まっていたので、独学で、仏教書や哲学書、手塚治虫さんの漫画『ブッダ』を読んだりしていた時期で、そういえば、『ブッダ』の中で、お釈迦様はシカのいっぱいいる鹿野苑(ろくやおん:サールナート)っていうところでお弟子さんに説教していた、自分が見ているものと似た風景を見ていたんじゃないか、と思ったんです。シカは草を食べて、大きくなって、死んで、土にかえって、その土で植物が育ち、それを食べる。と考えると、ぐるぐる回っているな、仏教って輪廻転生があるっていうけど、その通りだなと。
 科学的にも、生命体の構成要素は、割合が多少違ってもだいたい同じで、僕も死んでしまったら世の中に還元される。それがまたなにかに変わり、世の中に戻る。人間でもシカでも何でも一緒じゃないか、と気づきました。
 ぐるぐる回るんだったら、沖縄でも豊田でも、地球レベル、宇宙レベルで見たら些細なこと。やっぱり研究者になりたい気持ちもあったので、モヤッとしたものは心の中にあったんですが、そういうふうに考えたら、気持ちが軽くなって、きれいに晴れたんです。
 ケラマジカの研究の入口はとりあえずつくったんだから、それは引き継いでくれるであろう優秀な学生に任せて、僕は豊田に戻って、僕じゃないとできないことをやればいい。そうやって、本当に覚悟が決まったんでしょうね」

40歳すぎで住職を引き継ぐ

 ――沖縄から豊田に戻ってからは?

 「1年留年して研究を続けさせてもらった後、名古屋の同朋大学に1年通ってお坊さんの資格を取りました。1999年に祖父が亡くなり、しばらくは事情があって代理住職の方に法務をお任せしていたのですが、お寺の行事や活動は縮小されてきました。僕が住職になったのは2010年。40歳を過ぎたころで、顯正寺の再生に取り組むことになりました」

ペット用永代供養墓「どうぶつのおはか」

 ――アイデアを温めていたのではないですか。

 「ペット供養はそうですね。仏教的に六道輪廻(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界を迷い続けること)の思想が強くて、犬畜生っていう言われてるんですが、僕は生物学をやっていたというのがあって、変な差別はどうかな、人間ってそんなに偉いのかな、というのがあるんです」

イベント、勉強会などに集う

 ――ホームページを拝見するといろんなイベントがありますね。

 「『いのちの法要』は“どうぶつのおはか”での供養に合わせて、オカリナのコンサートなどのイベントをやっています。
 『虫の音コンサート』は、楽器が好きだけど発表の場がない、という人に“聞かせ賃”を払えば演奏していいですよ、ウマかろうがヘタだろうが、というものです。
 『森にまなぶ』は毎月第4土曜に開く勉強会。これまで仏教とあまり縁がなかった人に初歩の初歩を知ってもらおうと思ってやっています。
 以前、ゴールデンウイークに1週間、『お寺でアート』という、境内のいろんなところにアート作品を展示する大掛かりなイベントもやっていました。期間中に700人が集まったこともありました」

大きなクスノキの周りでは盆踊りが開かれるという

木彫作家の妻の作品が本堂に

 ――本堂にも作品がありますが、芸術系のイベントが多そうですね。

 「坊守の作品です。木彫作家(白水ロコさん)をしています。神話の動物がテーマです。頭が三つあるのはギリシャ神話のケルベロス、地獄の番犬ですね」

本堂内に置かれた作品たち

 ――極楽浄土を表現する本堂内に地獄の番犬なんですね。

 「よく考えたらそうですね。改めて、いま思いました(笑)。
 イベントはほかに、餅つきとか、盆踊りとか、月に1回の境内整備とかをやっています。境内整備といっても、1時間くらい掃除して、お茶を飲んで、雑談して、解散、みたいなユルい集まりです。
 住職になり、こんなことをしてきましたが、ここ数年、月参りに呼んでいただける家が増えましたね」

風通しよく、一緒に成長を

 ――どんなお寺にしていきたいですか。

 「僕自身、お寺で育ったり、修行したりしていないので、仏教の基礎的なものが身についていないかもしれない。だから、僕も一緒に、簡単なところからやっていきたい。ケラマジカ研究でやったような、入口をつくるような。
 もし、もの足りなかったら、ほかのお寺にお話を聞きに行って、そこの門徒さんになってもいい。去る者は追わず来る者は拒まず。風通しの良い場所に。
 お坊さんは取っつきにくい、話しにくいっていうのがありますが、そういうのはあっちゃいけないと思うんで、自然体で話せる関係性をつくりたいなと思います」

本堂

寺名:御堂山 顯正寺
宗派:真宗大谷派
住所:愛知県豊田市岩倉町西脇71


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
随時、月曜日に更新する予定です。

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