部下の器と上司の器
こんにちは、やたきちです。
今回は、仕事に関してぼくの思うことを書きたいと思います。
職場で働いていると「この人は器が大きい」とか「この人は器が小さい」と思うことがよくありました。
一般的に「器が大きい人」とは以下のように定義されているようです。
小さなことをいちいち気にしない人のこと。多少のことで怒ったり悲しんだりしない人のこと。(実用日本語表現辞典)
「器が小さい人」はこの逆で、小さなことを気にしたり、感情の起伏が激しい人のことになりますね。
で、これはぼくの持論なのですが、
「上司の器」 > 「部下の器」
であってほしい。自分の上司の器は、少なくとも自分の器と同じか、より大きくあってほしい。そう思っていました。
先ほど紹介した「器の大きい人」の定義に、小さなことを気にしない、多少のことで怒ったりしない とありました。
この「小さなこと」や「多少のこと」というのは人によって程度が違うんですよね。
なので相対的に見る ―誰かと誰かを比較して見る― 必要があると考え、上のように 「上司の器」> 「部下の器」 と書きました。
これが、「上司の器」 < 「部下の器」だと最悪です。
部下はこの程度のことと思っていることが、上司からすると全部指摘事項になっちゃいます。
そして絶望的なのは、「上司は複数人いる」 こと。
リーダー、主任、マネージャー、部長、社長....etc
部下はこの中の「一番小さな器の人」に合わせて仕事をしなくちゃいけません。
本来合わすべきなのは、顧客 のはずなのに。
上司に一人でも器の小さな人がいると、行動が制限されたり、必要以上のことをする必要がでてきます。
こうなると部下は仕事をやり辛くなり、不満がたまっていきます。
お客さんを優先して仕事をしたいのに、上司を優先せざるおえない。
ぼくが新卒入社後に感じた違和感の1つはこれでした、
それでどうしたか。
9割くらいのどうでもいいことは上司に従いました。
まわりと同じように空気を読んで仕事をしました。
自分が未熟なせいで理解しきれないことがたくさんありましたので・・・
ただ、残りの1割、明らかにおかしいだろうと思うことは声に出しました。
上司に黙って行動に移したこともありました。
それで変わったこともあれば、もちろん変わらなかったこともありました。
サラリーマンである以上、最終的には上司の指示に従わざるおえません。給料をもらっているのですから。
ですが、結果的に変わらなくても必ず意味はあるはずです。
心理学者:ベムが唱えた自己知覚理論という理論があります。
「人は、外に現れた自分の行動を手がかりに、自分の内面を認識する」
自分の意思と異なることを黙々とやっていると、他人の考えに支配されて自分に自信が無くなっていきます。
ですが、考えを表に出すことで他人に支配され難くなります。
声に出すという行動により、自分自身の本当の意思を認識することができるから。
さらに上司に対するけん制にもなるでしょう。個人的に、上司に対して従順すぎるのは良くないと思っています。これについてはまた別の機会に書かせていただきます。
以上、ぼくが新卒入社後に感じた違和感の1つと、それに対してどう向き合ったかを書きました。
少しでも今の仕事に違和感を感じている人の力になれれば幸いです。
【補足】
今日書いた中に「器の小さな人 = 小さなことを気にする」とありますが、行動だけ見ると、職人気質な人も器の小さな人に当てはまることがあると思います。
そういったときぼくは、その人が「自分の仕事に誇りを持っていそうか」を見ていました。
そういった方の考えは尊重し、指示に従うことがほとんどでした。
まあ残念ですが滅多にいませんでした。
(自分が気が付いていないだけかもしれませんが・・・)
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