いつかの岸辺に跳ねていく

小学5年生の娘にねだられ購入した本、読み終わったと言うから、彼女がどんな本に興味があるのか気になって週末に読んでみた。

著者は、加納朋子さん、ちょっと調べてみると、おっと、私と同世代(彼女が1966年生まれで、私が1965年生まれ)でした。しかし、過去の作品をみたら、どの本も知らなかった。デビュー作の「ななつのこ」は、海外翻訳もあるぐらいなんで、話題になって売れた本じゃないかと推測できる。ジャンルは推理小説。学生の頃だったら、好きだったジャンルなんで、名前ぐらいは認識できていたかもしれない。

職業小説家

遠い昔、赤川次郎さんの本を貪るように読んだ時期があった。次から次へ出版される作品にふれていると、生み出される作品量に圧倒され、これが小説家のプロなんだ。こういう人が、職業小説家なんだと実感したことがある。職業小説家という定義は、私が勝手に言っているだけで、短期間に作品を発表し続けられる作家のイメージである。当然,赤川次郎さんが初めての職業小説家ではないだろう。私の読書量が少ないだけで、松本清張さん、西村京太郎さんなんか、明らかに私の定義する職業小説家に分類されるかもしれない。

しかし、松本清張さんをここで取りあげたのは、拙かったかもしれない。本を読むのもやぶさかでは無いと思っているが、松本清張さんの本を一冊も読んだことがない似非推理小説ファンだからだ。職業小説家の作品は、作品の世界観が薄く、プロットの緻密性に欠けるというイメージがある。

赤川次郎さんの作品は,高校生だった頃の私でさえ、何十冊も読むと、どの作品も同じに思え、今やどの作品を読んだのかさえ覚えていない。あれほど面白かったという印象が残っているのに作品の記憶はない。なんとも寂しい限りで、今更ながら感想でも書き留めておけばよかったと思う。

でも、この職業小説家の作品に対するイメージは、作家の能力によってかなり異なってくる。悪いイメージを払拭した最近の作家は、東野圭吾さんだ。直木賞を受賞した「容疑者Xの献身」で、彼の作品に初めて触れたが、受賞後も質の高い作品を次々と生み出す非凡な能力を知り、職業小説家の底力、いや、売れる作品を書く作家でも、力量の差が大きく、職業小説家の作品だから平凡な作品とう等式は当てはまらない。ある意味、村上春樹さんも職業小説家の範疇に入るだろう。しかし、ここで村上春樹さんを話題にすると、収集がつかなくなるので、今度にとっておく。

ながながと職業小説家のイメージを語ってしまったが、加納朋子さんの「いつかの岸辺に跳ねていく」を読んで、感じた読後感が、赤川次郎さんだったというわけだ。いい人は、最後までいい人、悪い人は、最後まで悪い人、安心して読み進めることができ、頭にすんなり入ってくる平易な文体は読みやすく、一気に最後まで読み切れ、最終的に清涼感を味わうことができた。

Back to the Future

そして、このプロットの組み立て方は、まさに、映画 Back to the Futureだった。私がエンターテイメントの最高傑作と考えているこの映画のプロットと同じアイディアを使っていると感じだ。前述したように、加納朋子さんの経歴をみて、同世代だったんで、彼女もこの映画の大ファンだと勝手に確信してしまった。いつか自分の作品で扱いたいと思ったか思わなかったか、それは私の知るよしもない。

しかし、この偉大なるハリウッド映画でさえ、不自然さを完全に排除することができていない。映画を見たことがない人がいると思うので、すこし説明するが、主人公の高校生マーティンが、タイムマシーンを使って過去に戻り、高校生だった母親のロレインの家で家族と会話するシーンがある。未来からきたマーティンの一挙一動が注目され、ツッコミが入るのだが、最後に彼が家を去ったとき、ロレインの父親が彼女に、「いかれとんだ。あれじゃ両親もきっとろくなもんじゃないな。ロレイン!お前が将来あんな子を産んだら勘当だぞ」という台詞がある。しかし、初めて連れてきた男友達に対して、「あんな子を産んだら勘当たぞ」と父親はふつう言わない。「あんな奴と付き合ったら勘当だぞ」と言うだろう。そりゃ、実際はロレインの息子なんで、映画のプロット上、そう言わざるを得ないのは分かるが、「自然さ」には欠けてしまう残念な台詞だ。他の台詞は本当に自然で、この映画が大ヒットした理由もそこにあると考えている。

職業小説家としての加納朋子

この小説では、この不自然さが非常に多く、プロットの甘さが気になってしまった。加納さんの経歴をみて、あまりにも作品が多いことを知り、あ、やっぱり赤川次郎さんのような職業小説家なんだ、と思ったわけ。最初に断っておくが、決して作品をけなしているわけではない。何も予備知識なく読んだんで、前半の「フラット」の章で描かれている徹子さんの不思議感は、絶妙で素晴らしかった。しかし、後半の「レリーフ」で、なるほど、なるほどと辻褄が合う展開は、心地よかったが、結局、徹子はいい人だったという期待を裏切らないシンプルな展開に感じた。そして、プロットの不自然さが、気になってしまったというわけだ。カタリと恵美の結婚に際し、資産家の林家が、カタリの家族をろくに調べず、結婚を許している展開から不自然である。種明かしの展開の中で読者は気づきにくいのかもしれない。しかし、不自然さに気づいてしまうと、あら探しをしてしまって納得できなくなる。

前半で展開される不思議ちゃんの徹子さんが、どうなるかワクワクしながら後半に入ることができ、作者の術中にはまりそうになるが、無理な展開に少し興ざめしてしまった。もう少し自然に感じる話の展開だったら言うことも無かっただろう。それでも、娘が読まないと出会うことの無かった作品に触れ、楽しめたので、今回は忘れないようにメモを残しておく。

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