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2020 出雲の神々から学び、気付いたこと

出雲の「神迎祭」と「神在祭」は、やはり格別で、素晴らしいです。

出会った方には「一生に一度は行った方が良い」とお伝えしています。それも、なるべく早く行くべきだと思います。もちろん、その人にとって、ベストのタイミングでなければなりません。

今年は一人旅になったお陰で、神様と濃密な時間を過ごし、神様からのメッセージをじっくり考える時間も持つことができました。

以前は、旅の中で起こった印象的な出来事を、なるべく短くまとめて、面白おかしくブログでお伝えしてきましたが、今回の旅では、小さな出来事や気付きが積み重なって、大きなメッセージになっていると考えて、小さな出来事の詳細や、そのときに感じたことを書くようにしました。

私が経験したことから、何を感じるかはあなた次第ですが、まずは当事者として私が感じたことを否定せずに、自分自身に置き換えて考えてみてください。

出雲に行く直前に、丹生川上神社下社の龍神さまに叱られ、天河神社の神様からは厳しいメッセージをいただいたので、その影響が大きく、参拝のNG集のように思ったかもしれませんが、否定的なことを伝えたかったわけではありません。

私自身は各神社で神様に歓迎され、とても幸せな時間を過ごしました。同時に様々な経験をして、多くの学びや気付きを得ました。「人の振り見て、我が振り直せ」を感じたことや、教え方や伝え方を考え直す必要があると感じたこともありました。

以前は「分かる」「感じる」ということは、できれば良いけれど、できなくても大きな問題はないだろうと考えていました。しかし、その意味を深く考えずに稲佐の浜の砂を持って、素鵞社に参拝する人たちや、空っぽの十九社に参拝するために並んでいる人たち、良かれと思って唱えている龍神祝詞から、龍神さまが逃げるように遠ざかる様子に気付いていない人たちを見ていて気付いたことは「分からない」「感じない」ということは、自分の過ちに気付くことができないだけでなく、やり直しや修正のチャンスも失ってしまう、ということです。

これは、目には見えない世界の話に限ったことではありません。直感的な判断ができなければ、災害時はもちろん、日常生活においても、危険から身を守ることができない可能性があります。

自分自身で判断できなければ、他人の判断に頼り、依存することになります。今までは、それでも通用したかもしれません。しかし、世界中で未知のウィルスが蔓延したとき、真偽の分からない情報が飛び交い、その情報に多くの人が右往左往しました。これは、自分自身の判断による、情報の取捨選択ができていないことの結果です。誤報やフェイクニュースを簡単に信じてしまう人は、直感的な判断も、正しい情報や知識から判断することもできていないのです。

神社に参拝した話から、かなり飛躍しているように思うかもしれませんが、そんなことはありません。目には見えないものを感じることは、特別な能力ではなく、人間の本能に近い能力です。目には見えない存在が「見える」、声が「聞こえる」というのは、特別な能力といえますが、「分かる」「感じる」というのは、人の気配を感じたり、温度変化を肌で感じたり、ということの延長にあります。

直感的な判断力が劣っていると感じる方は、その能力を取り戻すための努力が必要です。その方法については、次回以降、お伝えしていきます。

いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也

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