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『龍神』さまに「愛される人」とは?

2024年は『龍神』さまの年

2024年の干支は『辰(たつ)』
数秘術でも2024年は、2+0+2+4=8
『8』は龍神を表す数
つまり、2024年は『龍神』さまの年といえます。


『龍神』エネルギーは無限大ではない!?

『8』を横にすると『∞(無限大)』となり、その意味と形が『龍神』を表すといわれます。そのため『龍神』のエネルギーも無限大で「どんな願い事でも叶えてくれる」と思っている人が多いようです。

漫画のドラゴンボールに登場する「神龍(シェンロン)」が、どんな願い事でも叶えてくれるのが、龍神さまのイメージに影響しているかもしれません。

『∞』は無限大を表す記号ですが、その形はループ状で閉じています。入口も出口もありません。増えることも減ることもない「循環」する形になっています。

『龍神』のエネルギーも無限大ではなく、「循環」することで無限にあるように見えているだけかもしれません。

金運と縁結びについて

お金もエネルギー同様、「循環」することで、経済が回り、景気が良くなります。つまり、金運アップを願うなら、お金をどう使うのか、使ったお金がさらに使われて、景気が良くなっていく、という「循環」を意識して願いましょう。

ただし、「お金が入れば(儲かったら)、困っている人に寄付します」と神様に願うのは、オススメしません。結果的に、その願いを噓にしてしまう人が多いのです。

困っている人を助けたいと思っている人は、お金が無くても、寄付やボランティア活動をしています。

「お金が入れば(儲かったら)、寄付しよう」と願った人は、まずは自分の欲求を満たして、お金が余れば寄付すればいいと考えているうちに、お金が無くなってしまうのです。

これは契約違反です。神様に噓をついたことになりますので、しっぺ返しがあるかもしれません。ご注意ください。

縁結びを願う場合も、恋人ができたり、結婚することで、人間的に成長したり、パートナーと社会貢献をしたいと願います。あなたの願いが叶うことで「世のため人のためになる」という「循環」を意識してください。こちらも噓にならないように、約束を守ってください。

水も「循環」している

私たちが日々、使っている水も「循環」しています。水道水もペットボトルに入ったミネラルウォーターも、その多くは川の水や地下水です。

地球上の約7割が海ですが、海水が蒸発して雲となり、陸地に雨を降らせ、土中にしみ込んだ雨水が川や地下水となり、再び海に流れ込みます。

太古の昔から、地球上にある水の総量はほとんど変わっていません。海水から水蒸気になり、真水の雨になって、植物に取り込まれたり、私たちの飲料水になったり、その姿形を変えながら、再び海水に戻ります。

蛇口から出てくる水道水は、浄水場でキレイになった水ですが、決して新しく生まれたものではなく、太古の昔から「循環」しているのです。水の「循環」は、土中のミネラルを川や海へ運ぶ役目も果たしています。

現代人は、便利で新しいものを求める一方で、昭和レトロがブームになったり、江戸時代の循環型社会や平和な縄文時代に学ぶべきと考える人もいます。

日常生活の中で過去とのつながりを意識することは少ないですが、実は一番身近な水こそが、太古の昔から同じものをリサイクルして使っているのです。

「循環」を意識するキッカケになった体験

神社を巡る旅で経験したことは、神様からのご褒美やメッセージの場合があります。特に、変なことが起こったら、その意味をよく考えてみることをオススメします。

私は2023年の10月に北陸を巡りました。日本三大パワースポットの一つとされる珠洲市の「珠洲岬」と、須須(すず)神社、見附島(みつけじま)、気多大社(けたたいしゃ)、高瀬神社、白山比咩神社、氣比神宮などを訪れました。

能登地方は数年前から地震が頻発していて、2023年の5月にも大きな地震の被害がありました。直感的に5月の地震は序章で、大きな地震が再び起こるかもしれないと感じていました。

それでも北陸に行ったのは、歴史書や文献を読むだけでは分からないことを、実際に現地に行って感じたいと思ったからです。これについては、やはり実際に訪れて良かったと感じました。

2024年の元日は、私が住む大阪でも、体感でかなり長い時間、大きく揺れました。これは災害級の地震に違いないと思いましたが、このタイミングで再び能登地方が被災するとは想像していませんでした。

被災地の皆さんには、一日でも早く日常を取り戻せますように、そして、これ以上の被害がないように祈りを捧げたいと思います。また、金沢に住む友人は、ほとんど被害が無かったようなので、北陸地方に風評被害がないことを願います。

災害が起こると「なぜ、神様は救ってくれなかったのか」「なぜ、神様は災害を未然に防いでくれなかったのか」という人がいます。また、「神様が怒っている」「天罰が下った」と考える人もいます。

神様は私たちを救うために全力を尽くしているし、天罰で命を奪うことはありません。災害が起こるのは、地球が生きているからです。私たちにとっては災害でも、地球にとっては生命活動なのです。

地球の生命活動は止められないので、神様は私たちに気づきを与え、導きながら、被害が最小になるように尽力されています。

さて、ここからは2023年10月の、北陸パワースポット巡りの旅で「循環」の意味や大切さを感じた体験について書きます。

体験そのものは、大したことではありませんが、神社から神社へ移動する間に、そして、神様の前で体験したことです。私にとって必要ない体験なら、きっと時間調整をしてもらえて、体験しなかったはずです。つまり、意味のある、必要な体験ということになります。

些細なことから「循環」について考えさせられました。「循環」についての「考察」を、ぜひ、あなたにも読んでもらいたいです。
そして、この「考察」が『龍神』さまに「愛される人」の考え方といえます。

「考察」の部分は有料記事にしていますので、私への応援のつもりで、ぜひ購入をお願いします。

移動中の体験談「そんな自分勝手な!」

北陸パワースポット巡り最終日は、日曜でした。水曜に出発した旅も、5日目です。3日目、4日目は雨で、日本三大パワースポットの一つとされる「珠洲岬」も、そのパワースポットらしさを感じられず、残念な旅行になりつつありました。

最終日の5日目は朝から晴れて、旅を楽しく終えて帰ることができそうだと、気分が少し上がりました。

この日は、敦賀のパワースポットといわれる「金崎宮(かねがさきぐう)」に参拝し、どれほどのパワースポットなのか確かめることからスタートしました。

個人的な感覚では、近くの「手筒山(てづつやま)」がパワースポットで、「金崎宮」は山のエネルギーの恩恵を受けている神社であるように感じました。

詳しくは「敦賀のパワースポット【氣比神宮】」に書いています。

その後、「氣比神宮(けひじんぐう)」に参拝しました。午前中は氣比神宮で瞑想しながら、のんびりする予定でしたが、落ち葉を吹き飛ばすブロワーの音が気になって居心地が悪く、すぐに出発することにしました。

今になって思えば、このときから神様や、私についている白龍に導かれていたような気がします。

敦賀から車で、若狭に向かいました。若狭姫神社と若狭彦神社を目指して、約1時間のドライブです。田舎の幹線道路で、片道一車線、地元の人は急がないので、前を走る車に合わせて、ゆっくり走ります。

10月下旬の晴れた日曜は、秋の行楽シーズンでもあり、平日だった旅の前半よりも交通量が多く、他府県から観光に来た車や、レンタカーがたくさん走っていました。

しばらく山沿いの道を走り、赤信号の交差点で停まりました。右折専用レーンのあるT字路で、直進と右折の両レーンとも数台の車が、信号が青に変わるのを待っていました。

信号は青には変わらず、直進の矢印のみが点灯しました。直進する車と右折する車の衝突事故を避けるためか、この交差点では、右折する車は右折の矢印が点灯するまで、動かずに待つ必要があります。

私は直進だったので、直進用のレーンで待っていました。直進の矢印が点灯したので、発車するつもりで前方を見守っていました。

信号待ちの先頭車が動き出したので、前の車もすぐに動き出すだろうと思って待っていました。しかし、私の前の車は、なぜか右ウィンカーを点滅させて、全く動きません。その意味を理解するのに、少し時間がかかりました。

私の前の車は、その交差点を右折したいので、右折専用レーンに入りたいのです。おそらく、カーナビの右折の指示に気づいたときには、直進用のレーンで停まっていたのでしょう。

右折専用レーンの車は、右折の矢印が点灯するまでは動けません。信号待ちなので、横から車が入り込めるような車間距離でもありません。後ろから見ていても、そこで右ウィンカーを点滅させたところで、車線変更はできないだろうと思いました。

そこで、私は気づいたのです。右ウィンカーを点滅させたのは、車線変更をしたいのではなく、右折したいから、直進せずに、ここで右折の矢印が点灯するまで動かずに待つという、後ろの車の「私」へのアピールなのだと。

ナンバープレートを見ると、他県の車なので、おそらく観光で来ているのでしょう。コロナ禍後の、久しぶりの遠出かもしれません。カーナビが右折を案内するタイミングが分かっていなければ、うっかり右折レーンに入れないこともあります。

山沿いの道のため道幅が狭く、T字路のため左折側に道がないので、後ろから迂回して追い越すことができません。前の車が動かなければ、私の車も動けないのです。

渋滞していれば、信号が2回や3回変わっても、全く動かずに待つこともあります。次の青信号まで待っても、到着時間が少し遅くなるだけです。ここは寛容な心で、わがままな行為を許してあげようと思いました。

しかし、私なら、こういう場合はどうするだろうと考えてみました。私は他人に迷惑をかけるのは嫌なので、ルール違反ではありますが、交差点に少し進入して、右折レーンの先頭車の前で信号待ちをしたと思います。もちろん、危険ではないことは確認します。

右折レーンの先頭車の前に停まると、事故につながるような危険性があるかもしれないと思えば、その交差点で右折するのを諦めて、どこかでUターンするか、別のルートで目的地を目指すでしょう。

このような想定外の経験をすると、しばらくの間は、頭の中でいろいろな「たら・れば」の思考が、ぐるぐると堂々巡りをして、感情も揺さぶられます。

背筋がゾクッとしたのは、もし、私の後ろから来た車が、青信号に安心して、停まっている車に気づくのが遅れて、私の車に衝突していたら、無事だったのだろうか。

そういう意味では危険なので、私がクラクションを鳴らしていれば、前の車と揉め事になっていただろうか。前の車の運転者は、事故の可能性まで考えただろうか。

その交差点で右折できなかったら、Uターンしたり、別ルートで遠回りするのは面倒だ、時間も無駄にしてしまう、というのが直進レーンで右ウィンカーを点滅させて動かなかった理由だと思います。

自分が時間を無駄にするのは嫌だけれど、他人の時間を奪うのは気にしない。自分が面倒なのは嫌だけど、他人に迷惑をかけるのは何とも思わない。私とは真逆の考え方なのかもしれません。

それとも、もっと単純な理由で、運転に慣れていなくて、Uターンや別ルートを検索するという発想がないのかもしれません。カーナビのルートから外れたら道に迷ってしまうと思っていた可能性もあります。

もちろん、すべて私の想像なので、実は深刻な理由があったのかもしれません。いくら考えても何も解決せず、心がスッキリすることもありません。この堂々巡りを続けているうちに、目的地に着いてしまいました。

神様の前での体験談「それは迷惑です!」

若狭国一之宮は、下社を「若狭姫神社」、上社を「若狭彦神社」といいます。下社は里宮的な雰囲気、上社は奥宮的な雰囲気があります。二社は車で5分くらいの距離にあります。

下社の若狭姫神社の参道を進んで拝殿前に着くと、黒のスーツ姿の中年男性5人が参拝中でした。拝殿の左右には板玉垣(板塀)があって見通せないので、本殿を見ながら参拝できるのは、賽銭箱の前だけです。

黒スーツ姿の男性たちは、1人を先頭にして、その後ろに2人ずつ縦に並んで、賽銭箱前のスペースを半分空けて参拝していました。マナーは悪くはありません。他の人が来ても、残り半分のスペースで拝礼できます。

私が空いているスペースで拝礼しようとすると、先頭の男性の低い唸るような祝詞が聞こえてきました。それが何とも気持ち悪いのです。これはダメだと思って、その場を離れました。

神職さんの祝詞を聞いたことがある人は分かると思いますが、祝詞は高めの声で唱えるほうが、聞いていて心地良いのです。祝詞は練習すればするほど、高めの声になっていきます。そのほうが、しっくりくるのです。

もちろん、感覚的なことで、そう決まっているのではありません。低めの声で唱える神職さんもいます。高めの声が、波動も高い、というわけでもありません。

少なくとも、私は不快に感じました。おそらく神様が、わざとそのタイミングで参拝するように仕向けています。というのも、神社に着いたとき、車を停めるスペースがなく、しばらく待っていました。時間調整させられた、と拝殿前で思いました。

黒スーツの団体の参拝が終わるまで、しばらく待とうと思って移動すると、一組のご夫婦が境内にいました。奥さんと目が合って、同じ気持ちであることを察しました。

黒スーツ団が、私たちに一礼して、その場を立ち去りました。マナーは悪くないのですが、不快感は残ったままです。一緒に待っていたご夫婦に声をかけて、一緒に参拝しました。

ご夫婦が参拝を終えた後、丁寧に祓詞を奏上しました。神様が、私の参拝のタイミング調整をしたのは、祝詞で祓って欲しいからだと思ったからです。これは、よくあることです。

拝殿と私自身もスッキリしたのを確認して、上社に向かいました。参道を進んで行くと、先ほどのご夫婦に会いました。

「また会いましたね。こちらでも、さっきの人たちが参拝しているわよ」残念そうな表情の奥さんにそういわれて、私はガッカリしました。こういうことにならないように、かなり時間を空けたつもりだったからです。上社も祓ってくれ、という神様のメッセージだと察しました。

さらに参道を進むと、黒スーツ団とすれ違いました。先頭で祝詞を奏上していたリーダーらしき人がもっとも年配で、上司と部下たちという関係に見えました。何かの組織か、宗教団体かもしれません。

黒スーツ団のリーダーが、ひと仕事終えたなあという感じで笑いながら、狭い参道の真ん中を歩いてきます。仕方なく、私が参道から外れて避けました。年配の人のマナーは悪かったです。組織の中では、偉い人なのかもしれません。

上社の拝殿でも丁寧に祓詞を奏上して、北陸の旅を終えました。

2つのエピソードから導き出した「考察」

旅で経験したエピソードが、どちらか一つなら、あまり深くは考えなかったかもしれません。しかし、神社参拝の途中、立て続けに起こったことなので、これは神様が何かを考えさせようとしている、と思いました。

あなたは、この些細なエピソードから、どう考えますか?
テーマは「循環」です。

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