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もう一人の「日本代表」(#007)      スパイクの中にカミソリが‥‥

救世主現る?!

 2006年11月初旬のある日、コルカタの空港に降り立ったアラタは地元の歓迎ぶりに衝撃を受けた。念のため、繰り返しておくが、アラタは「キングフィッシャー・イースト・ベンガル」との契約が決まっていたわけではなく、トライアウトを受けるためにインドにやって来たのだ。
「空港についた途端に、イースト・ベンガルのスタッフなのか、空港職員なのかわからなかったですが、とにかく2人の男に両脇をガチッと固められて、ものすごい数の人でごった返すイミグレーションを横目に、裏の出口みたいなところを通されて、入国審査も何もなしに空港の外に出してもらったんです。外に出たら出たで、報道のカメラとサポーターが凄いことになっていて、『日本からイースト・ベンガルを救いに来てくれたのはこの男か、ウォ〜!』という感じで、クラブのフラッグは振られているわ、大きな花束は渡されるわ、足にキスまでされる始末でした。僕はあまりに突然のことで驚き、同時に怖くなっておどおどしていました。なにせ、まだ契約書にサインもしていなかったんですから。しかも水島(三菱自動車水島FC)でいったんプロから離れた時期があったので、僕としては再チャレンジのつもりで来ていたわけです。サポーターはきっとそんなことは知らなかったんだと思います。てっきり僕がイースト・ベンガルと契約してコルカタにやってきたんだと勘違いしていたのでしょう。これはすごいプレッシャーだなと思いました。でも一方で、その大歓迎ぶりが嬉しくもあって、こんな環境でサッカーをやることができたら、さぞややりがいがあるだろうと思いましたね」
 日本とインドのプロサッカーのレベルの違いを考えると、この時、アラタがコルカタのサポーターの前に現れたことは、2014年1月、Jリーグのセレッソ大阪にディエゴ・フォルラン選手(註:ウルグアイ代表で、2010年のFIFAワールドカップでMVPに輝いた)が移籍されたことに匹敵する一大事だったのかもしれない。
 アラタは群衆から逃げるようにして迎えの車に乗り込み、そのままホテルに連れて行かれた。ホテルの部屋に通されて一人になると、アラタは頭のなかに興奮物質がドクドクと湧いているのを感じた。シンガポールで調子に乗って、プロの取るべき態度が取れず、いったん手に入れた大切なものを失ってしまったのは、まだつい1年前のことだ。日本の実業団の劣悪な環境で喘ぐようにサッカーをしていたことは、シンガポールでの失態の報いだと思っていた。そんな自分に、今また新しいチャンスがめぐってきた。
「がんばろう」
 アラタは自分に向かって声をかけた。

今にも崩れそうな小屋がクラブハウス

 翌朝、迎えの車に乗って、アラタはイースト・ベンガルのトレーニング場に向かった。
「僕のイメージのなかでは、クラブハウスがあって、そのすぐ近くにトレーニング場があるような、日本では普通の施設を思い描いていたんですが、実際は、舗装もしていないような狭い小道を入っていった先に、今にも崩れそうな木造の小屋が建っていて、まあ歴史のあるチームだから、何かの記念に残している建物なのかと思っていたら、それがクラブハウスだと言われて……」
 更衣室はボロボロであるだけでなく、埃とゴミとでひどい有様だった。建物のなかはひどい暑さで、シャワーを浴びようとしたがお湯はおろか水さえ出なかった。クラブのスタッフから手渡されたトレーニングキットを見ると、胸のところにリーボックのロゴマークが入っていたが、タグは別のメーカーのものだった。予想外の展開はグラウンドに出てからも続いた。
「とてもじゃないけどプロがやるようなトレーニンググラウンドではなかったですね。サッカーのグラウンドって普通フラットじゃないですか。それが、どこからどう見ても、そのグラウンドはかまぼこのような形をしていました。草もほとんど生えてなくて、土がむき出しの部分がほとんど。これがまたカチカチに固くて、スパイクで歩いたら冗談抜きにコンコンって音がしましたからね。これは、大変なところに来てしまったなと思いました」

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