もう一人の「日本代表」(#004) 食中毒患者にもカレー
反町監督から「バカ」呼ばわりされて
カレッジに入って2年目、アラタはアルビレックス新潟のサテライトに参加させてもらうまでになった。ときおりカレッジのグラウンドにアルビレックス新潟の選手たちが練習をしに来ることがあった。そういうときにはアラタらも練習に参加させてもらえた。少しずつ頭角を現してきたアラタだったが、プロの選手のなかに入ると、単純なパス回しのときでさえ、なかなかボールを取ることができなかった。
あるとき、当時のアルビレックス新潟の反町康治監督(現役時代はベルマーレ平塚などで活躍。2001年〜2005年までアルビレックス新潟の監督を務めた後、2006年〜2008年まではU-23日本代表監督。その後湘南ベルマーレを経て、松本山雅FC監督に)にアラタは声をかけられた。
「どうして、きみはボールを取れないか、わかるか?」
「わからないです」とアラタが答えると、反町監督は言下にこう言った。
「おまえがバカだからだよ」
この痛烈な一言でアラタの鼻っ柱はポキリと折れてしまった──。
アラタの話を聞いていると、彼のサッカー人生が大小さまざまな挫折に満ちていたことがわかる。しかし、そのたびにアラタは膝についた泥を払い、立ち上がってきたのだ。「立ち上がる力」こそがアラタを一国の代表選手にまで引っ張り上げた最大の要因だったのかもしれない。
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