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【エッセイ】残るものは残る

いつからか、紫陽花の時期に修善寺に行くようになった。
noteでも書いているが春と秋は長野、どちらも駅からは遠く離れた温泉宿を常宿にしている。
ちなみに毎月三浦半島の温泉にも行っている。(こう書くと温泉ばかり行っているようですが仕事もしています…)
居職のありがたいことはパソコンを持っていけばどこでも仕事が出来ることだろう。
とりわけ平日に動けるのはありがたい。普段なら並ぶような店にすっと入れたりするし、宿も休みの時よりは人が少なくて静かだ。今回は三島で途中下車してうなぎを食べたのだけれど、やはり空いていた。

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修善寺をはじめて訪れたのは15年以上前かもしれない。その時、菊屋旅館の前を通り、かつて夏目漱石が危篤に陥り長逗留をした旅館だと知った。
それから数年後、漱石を題材にフィクションを織りまぜた話を書いて、ドラマの脚本賞をいただいた。あの頃は将来そんなことになるとは露ほども思わなかった。何せ当時はまったく畑違いの仕事をしていたのだから。

思えばなんの気なしに見聞きしたことが、どこか記憶に残っていて、のちの発想につながっていることが多い。情報を取りにいこうと意気込んだときよりも、知人のふとした会話や旅先の思い出、たまたま見ていたテレビの一コマなどが、ネタになっていたりする。

朝、ホトトギスの声で目覚めた。いや、目が覚めるような声だった。宿の社長に言ったら「オスですね。身体も充実して今が一番いい声で鳴くんですよ」と言われた。

ふと調べで知った漱石の朝日新聞入社の辞を思いだす。

“鶯は身を逆まにして初音を張る。余は心を空にして四年来の塵を肺の奥から吐き出した。これも新聞屋になった御蔭である”

言葉の真実のどうこうよりも、まず印象に残る言葉だなと思った。漱石の言葉はこうして私の記憶にとどまることが多い。

学んでいても遊んでいても、自分の中に残るものは残る。特に最近色々なことを詰め込みすぎていたので、いい意味で抜くことの大切さを思い出すことができた。
だからあまり力を入れすぎず、今日も私らしくーそんな風に思った、梅雨さがりの一日。

(下の写真は宿の露天風呂です)

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