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【エッセイ】夜に引越しなんてするもんじゃない

夜逃げをしたことがある。

いや、させられたと言うべきか。今から20年以上前のことだ。

勤め先から帰ると荷物がすべてまとめられていた。重ねられた段ボールの前に同居人のKと、その彼氏、そのまた彼氏の仲間が立っている。

「荷物はまとめておきました。今から一緒に逃げてください」

何かの間違いだと思った。その日の朝、私はいつも通り時間ギリギリに起き、慌ただしく部屋を出たきりだったのだから。

しかし申し訳なさそうなKの顔を見て察した。ほら言わんこっちゃない、と歯噛みする。やはり、もっと早く止めておけばよかった。

私と彼女の付き合いは高校まで遡る。およそお嬢様とは言えない名古屋の女子校で私たちは出会った。

毎日、一緒にいた。学校が終わってからも同じバイト先で働き、休みの日は栄で遊んだ。そんな私たちの口癖は”早く東京に行きたいね”。若かったなぁと思う。

それから数年。最初に彼女が親の転勤で、続いて私が進学を機に上京することになった。

一緒に暮らし始めたのは22の時。新しい部屋を探していた私と、親元を離れたい彼女とで都合があった。

決めたのは一階にコンビニが入る2LDKのマンションだった。洋室が彼女の部屋で和室が私。冷蔵庫の上の段は彼女で、下が私。昼は私が仕事に出ていて、夜は彼女が仕事に出ていた。

家族以外の人と暮らすのは初めてだったが、生活時間帯がずれていたのがよかったのかもしれない。たまに顔をあわせると一緒に食事を作ったり、炬燵でプレステをしたまま寝たり、深夜に車を飛ばし環八沿いのラーメンを食べに行ったりした。

公園に一緒に走りに行って、猫を拾って帰った。ハチワレの子猫はフジコと名付けられた。

ある日「彼氏ができた」とKが言った。夜の店で見初められたらしい。ところが相手は50代の既婚者で、見せてもらった写真はカバにしか見えない。(ちなみに彼女は高校時代モデル事務所に登録していた)

しかも、その筋の人だった。

当然反対したが、意外や彼女の方が惚れ込んでいた。ほどなく新品のテレビが届いたり、革張りのソファーが運ばれてきたりした。彼からのプレゼントだと言う。

ある時、二人でご飯を食べに行く約束をしていたら、待ち合わせに彼も現れた。「送りますよ」と舎弟らしき人に車のドアを開けられ血の気が引いた。そのまま民家に連れて行かれ戦々恐々としていたら、食べたこともない懐石料理が運ばれてきた。あの家がなんだったのか、いまだに謎だ。

半年が経った頃、帰宅するとKが見たことのない青年と、フジコをあやしていた。「どうも〜」と挨拶すると「は、初めまして!」とあらたまっている。どうやら店の新しいお客さんらしく、それから度々遊びに来るようになった。

カバおじさんとも続いていた。けれどいつまでたっても彼女は二番手。業を煮やしていたところに現れたのが青年だった。

バレたら大変なことになるんじゃないのか。

そう注意してから夜逃げするまで、幾日もなかったと思う。時すでに遅し。コトを知ったおじさんから彼女は法外な慰謝料を請求され、さもなくば今すぐ東京から出て二度と現れるなと脅された。

私とKはその夜、マンション経営をしているという青年の親にあてがわれた一室で一晩を過ごした。

運び込んだ段ボールの山に、囲まれるようにして。翌朝は休めぬ用があったので、ほうほうのていで出社した。Kはその日のうちにツテをたどり東京を離れた。

”軽率”なんて言葉ではすまされないだろう。私もKもあまりに愚かだった。

この一件で私たちは方々に多大な迷惑をかけた。入居の際に骨を折ってくれた不動産屋の顔に泥を塗り、私は新しい家が見つかるまで当時付き合ってた彼に世話にならざるを得なかった。フジコはKの意向で、青年に引き取られることになった。

Kは今も東京に来ない。青年とはしばらく遠距離恋愛をしていたが、ほどなく別れたと聞いた。

時折、夢だったんじゃないかと思う時がある。何度も通った深夜のラーメン屋も、田んぼに囲まれた民家のような料理屋も、二人と一匹で過ごしたあの部屋も。

ただ一つ、後からわかったコトがある。何とフジコはオスだったらしい。フジオと命名し直され、先住のワンコ達と戯れる写真を何度も送ってもらった。

それを見るたび、やはり夢ではなかったのだと、今もたまに思い返している。

消えない痛みと、後悔を伴って。






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