緩い幸せと物足りなさ
ふと昨日思ったこと。
今の自分に満足するのは幸福であるけど、ワクワクと張合いがない。
自分を許している環境はぬるい。
今日はこの感情を紐解いていこうと思います。
今の心境
・ほどほどに幸せ
・何かに心踊らせることはない
・平凡な日々にありがとうという気持ち
・追われている感覚も、追っている感覚もない
まず大前提、幸せか不幸かと問われたら幸せです。ほどよく忙しい生活ができて、LINEで話しかけてくる友達もいて、仕事もできて、稼ぎもそれなりに生まれて、まぁ幸せです。
ただなんか足りない。
ワクワクすること、夢中になってやりたいと思えることが今ないんですね。
以前「足るを知る」の考え方をちょろっとnoteに書きましたが、まさに今足りていない。ほどよく幸せだけど張り合いがない。
ギリギリまで追い込んで、馬鹿みたいにきつくて、こんなのアホだろと思いつつ、何がなんでもそれを成し遂げたいと思えるような、ものが、ない。
人は一度高い水準を知ってしまったらもうそれまでには戻れないように、昔の経験が今自分に「まだやれるだろ」と働きかけているような気持ちがします。
何が足りない?
マズローの欲求5段階説をもとに考察してみます。
簡単な説明も下に。
第1段階:生理的欲求
生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求。
「食欲」「排泄欲」「睡眠欲」などが当てはまり、これらが満たされなければ生命の維持が不可能となる。
第2段階:安全欲求
安心・安全な暮らしへの欲求
病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットも、これを満たす要因。一般的に、幼児にはこの欲求が顕著に垣間見えるが、大人になると反応を抑制することを覚え、自然と次の段階へ欲求が昇華していく。
第3段階:社会的欲求
友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求
集団への帰属や愛情を求める欲求であり、「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」とも。この欲求が満たされない状態が続くと孤独感や社会的不安を感じやすくなる。
第4段階:承認欲求(尊重欲求)
他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求。
承認欲求における尊重には「低いレベルの尊重欲求」と「高いレベルの尊重欲求」がある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、名声、注目などを得ることによって満たされる。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重の意識付け、技術や能力の習得、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価より自分自身の評価を重視する。
この第4段階の欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。
第5段階:自己実現欲求
自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求。
潜在的な自分の可能性の探求、自己啓発行動、創造性の発揮などを含み、自己実現の欲求に突き動かされている状態となる。
マズローは最初の4欲求を「欠乏欲求」、最後の1つを「存在欲求」とまとめており、自己実現を達成できた人は数少ない。
さてどれが足りていないのだろう。考えていきます。
1は100%ない。ちゃんと生きてる。
2は若干あった。インターン始める前まで無職で奨学金も休学中でもらってない身だったから本当に金銭面のやりくりが怖かった。
3はあまりない。他人と関わる機会がコロナでかなり減ったし、そもそもあまり気にしなくなった。
4は少し。自分は自分だから他人と比較する必要はないと思うようにしているが、このコロナ禍でピンチをチャンスにしている友人を見ると、その行動力と思考力が羨ましいと思った。あとまだ自分は有能ではないと思っているから、どうにか自分を認めてあげたい。少しのことを褒めてあげるのもそうだけど、何より成長したと実感できるようなスキル・マインド・出来事、成功経験がないと認めてあげられない。
5。そもそも自分の「あるべき自分」がまだ完全に明確になっていないからか、明確にはわからない。ただ行動しているか、と問われたら行動していないし、何かに熱中しているか、と言われたら熱中していない。
4.5がかなり大きなところでしょうか。
自己実現したい
5の自己実現欲求が満たされていないから今の物足りなさを感じる、と結論づけました。
コーチングしといてよかったな、と思うのは内省する機会を強制的に作れること。
以前のコーチングしていただいたときの記事を読み返し、自分のありたい姿を意識づけようと思います。
ちなみに今WBSで、時刻表で国鉄全線を制覇すると言う小説が紹介されていました。時刻表とか路線図見るだけで楽しくなれる気持ち分かりますかね。めっちゃ楽しいんですよあれ。青春18きっぷの旅したいなぁ。
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