【雑談】感染性心内膜炎で倒れてました ①
皆さんこんにちは〜!お久しぶり〜やすとみです。
ブログを書くのが久しぶりすぎて、初めの下りを忘れてました。(^^;)
と言うのは、その間、大きな病気を患って一時期生死をさまよっていたみたいなんですね〜私。
感染性心内膜炎(かんせんしょうしんないまくえん)と言う病気で入院していたんですが、病院へかつぎ込まれるまでの記憶が無く、気がついたら病院のベットだったのです。それまでの記憶が飛んでいるんですね。なので、あとで聞いた話などを整理して順を追って説明したいと思います。
その前に「感染性心内膜炎」を簡単に説明します。
心臓の中にある弁や心臓の壁に細菌(いわゆるばい菌)がくっつき感染をおこすことです。まれな病気ですが、細菌のくっついた場所が心臓の中と言うことで、何らかの治療をしなければ助からない恐ろしい病気の一つです。
死亡率は15%〜22%と高いため、早期診断・早期治療が大変重要といえます。
「感染性心内膜炎」と判明しましたが、これも色々な検査をした結果分かったことで、入院時には病名は分からず、あーでもない、こーでもないと当初はなっていました。
私が病院へかつぎ込まれたのは23年5月14日(日曜)の夜遅くです。
その3日前から体調が優れず、私は風邪を引いたと勝手に勘違いしていました。なので、市販の風邪薬を服用してましたが、何ら効果は無かったです。
私は実家で寝てますので、5月14日の当日も実家で目覚めベットから起きようと思い力を入れるのですが、腕に力が入らずベットから起き上がれませんでした。何とか起き上がって、ゆっくり着替えて自転車で自宅までたどり着きましたが、体がしんどく少し寝ようと眠ることにしました。
これが朝の8時だと記憶しています。
それから夜の8時まで眠り続けたと言うより、ここから意識が無かったんですね。
実家の母から夕飯の時間帯に携帯へ電話がかかりましたが、意識が無いため携帯にでない。おかしいと感じた母が姉と妹に電話し、電話を受けた姉が私の自宅の鍵を開けて貰うよう警察へ依頼したそうです。
後で聞いた話ですが、警察は依頼をそんな簡単に受けないそうで、姉が強い口調で話をして依頼を受けてくれたそうです。
で、私の自宅前で姉と妹と警察2名が落ち合い話をした内容は、
・自宅に入りたい。
・自宅には弟(私)がいてるのは間違いない。
・今まで電話に出ないなんて事はないから、早く入って事態を収拾したい。
と警察へ話をして、それじゃレスキュー隊とはしご車を要請して、はしご車から3階の窓を割って中に入ろうとなりました。
警察の要請により、ほどなくレスキュー隊とはしご車が到着して、はしご車から3階の窓を割って中に入りました。
すると、2階で私が寝ているのをレスキュー隊が発見しましたが、姉が様子がおかしいとレスキュー隊に話をして、レスキュー隊が確認したら心肺停止だったそうです。
レスキュー隊が心臓マッサージをしても良いか確認して、心臓マッサージを施し蘇生したんですが、マッサージの最中、姉の足は震えていたと後で聞きました。
強いビンタで意識は戻りましたが、直ぐに意識は飛びます。
血中酸素が足らないためか、脳内酸素が足らないのか、とんちんかんな返答をしていたそうですが、全く記憶に無いです。
妹を見ても誰か分からないと返答したり、私の年齢を若い年齢で答えたりと、とにかく確認が取れない状況なので、レスキュー隊が私を抱えて、直ぐに病院へ向かうことになりました。
はしご車が自宅前に来て、自宅前は野次馬でわちゃわちゃしてましたが、レスキュー隊が私を抱えて病院へ向かうときは、野次馬は誰もいなかったそうです。
そして、病院に入ってすぐに点滴を打って、病名は分からないが、何らかの菌が入っているので、これからそれを特定するのと、熱を下げる対応をするような事を言っていたと記憶しています。
それと、入院するからと上着とズボン、下着を脱がされ、オムツと病院のパジャマになったところまで記憶してますが、それから病室へ到着するまで意識が飛んでいました。因みに入院の当日、私は失禁していたそうです。
その下着とズボンは妹が預かって洗濯してくれたそうです。
妹よ、色々とありがとうございます。
今回は記憶を呼び戻しながら書きました。
少し遅かったら死んでいたなと書きながら思いました。
また、ご先祖様が守ってくれたんだなと。
ほんの数週間の入院だと思っていたのですが、これから1ヶ月半入院する事になります。次は入院して病名を特定するまでの話を書きたいと思います。
今回はこの辺りで。また次回!
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