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南米蹴球放浪

ブエノスアイレスの街を行く

南米のパリと言われるブエノスアイレス。
その言葉が象徴するように、過ぎゆく街並みは5ヶ月前に訪れたフランスを思わせる。

8ヶ月20カ国目となるアルゼンチン。

新たな街に来ると必ずすると決めていることがある。ただひたすらに歩くこと。目的はなんでもいい。少し離れた観光名所をターゲットにするときもあれば、安くて美味しそうなレストランを探すときもある。目的がないときだってある。ただひたすら歩く。その間、じっと建物や看板、音楽や会話、人々の容姿に注意を向ける。変質者ではない。南米は美女が多い。

ブラジルでは、先住民系、アフリカ系、ヨーロッパ系、日系、そしてそれらの混血。様々な容姿を持つ人々に溢れていたのに対し、アルゼンチンはどちらかというとヨーロッパ系が大半を占める。やはりここは南米のパリなのかと実感。

なかよくしてくれた現地の人たちに話しを聞くと自分のルーツを把握しており(スペイン、イタリア系が大半)日本にいては考えることのなかった国というものの概念に想いを巡らせることとなった。

一口に南米と言っても東の国か西の国か、北の国か南の国かによって、要するにそれぞれの国がそれぞれの歴史を持ち、それに応じてその国を構成する人々の様相も変わってくる。というのはとても面白い。

そんな南米、ブエノスアイレスの街並みを歩いているとあるものがふいに目の前に現れてくる。

サッカーコートだ。

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大都市の街中でありながらこのように唐突に幾つものサッカーコートが現れるのはブエノスアイレスだけだ。(自分の感覚に過ぎないがダントツに多い)


アルゼンチンのお金の不思議

先ほど述べたように20カ国目となったアルゼンチンだが、アルゼンチンほどお金に困らせられる国はなかった。

一つ目に、ATMが使用不能であること
この国のATMはなぜだか使えない。理由はさっぱりだがとにかく使えない。ATMに入り全ての手続きを済ませ、あとは現金が出てくるのを待つのみ、という段階になると画面にエラーが表示される。
とは言え、たまに使えるものもあるのだが、これを見つけるとなると幾つものATMを歩き回らなければならない。そしてやっと引き出せると思うと手数料が500〜1000円も取られる。

二つ目に、為替相場に則さない両替市場
ATMでお金を引き出せないとなると、次の手は両替。これがまた面白い。
常に最低限の米ドルを持ち歩いている自分は、Googleで米ドルとペソの相場を確認。

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これを踏まえた上で両替所に向かうと、$1あたり58ペソとのこと。レートが良くない。

そんなアルゼンチンだが、両替所でなくとも両替する手立てがある。大きな商店街に繰り出せば沢山の人たちが“Cambio cambio(両替)”と通行人に声をかけている。

そんな彼らに両替したい旨を伝えてみると、なんと$1あたり、75ペソ。正規の両替所より圧倒的に良いレートだった。というより、為替相場よりも高額を提示してくれた。両替した上でお釣りを貰えると、なんともありがたい。偽札を摑まされるリスクがあるという路上での両替だったが、払える限りの注意を払い無事にペソを手に入れることができた。

旅行者でなければ、こんな話はどうでも良いのだが、ここで問題にしておきたい、知っておいてもらいたいのはこうした事態が起きる背景だった。

アルゼンチン経済はあまり安定していないようで、2018年には大きな通貨危機が発生した。その通貨の価値の変動は非常に大きく、自分が訪れたときは1ペソは1.8円程だったが、過去の旅行者のブログなどをみていると3年前には7.8円だったりしたようだ。
そんなこんなで、価値の変動の大きいペソに対する国民の信頼は薄く、価値の変動が小さく国際的にも幅の利く米ドルが、実際の価値よりも高く重宝されているようだ。

これが両替の不思議に対する答えだ。

ATMの件については詳しいことはわからないが、自分の使えなかったATMを自分の後にきた現地の人は使えていた様子を何度も目の当たりにしたので、これもまた国内の経済の問題から来る、旅行者への対応の一つなのだろうと考えられた。

長くなってしまったがここまでが前置きで、

・経済は不安定
・どこよりも街中にサッカーコートが多い

という2点について強調しておきます。

いよいよ本題です、ブエノスアイレスにてアビスパ福岡のレジェンド、オマールピッコリさんにお会いしました。

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オマールピッコリさんって? 

Wikipediaの情報を参照すると、ブエノスアイレス出身のサッカー選手で、現役時代は名門リーベルプレートを含むアルゼンチンのクラブで活躍し、その後に日本に来てアビスパ福岡の前身となる中央防犯サッカー部でプレー。
引退すると、アビスパの育成年代のコーチを務めることになり、数年後その実績を認められトップチームの監督に抜擢された。

その後は、アルゼンチンに戻り名将フリオ・セサル・ファルシオーニ監督とペアとなり、ボカジュニアーズ を含むいくつかのクラブを歴任し、ヘッドコーチとしてアルゼンチンの一部リーグを4度も制覇したそうです。

12年間住んでいたという日本には今でも良い印象を抱いているそうで、流暢な日本語でご案内してくださいました。ご自身のInstagramにはアビスパ福岡での現役時代のお写真も載せてあったり、未だにアビスパ福岡の選手や試合結果を追いかけていたりなど、アビスパ福岡への思い入れの強さを節々から実感することができました。

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CA Banfieldを訪問

そんなピッコリさんが現在ヘッドコーチをお勤めになっているのが、FCバンフィエルドです。

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このチーム、2009年に一度だけスーペルリーガ(アルゼンチン一部)を制したことがありました。この時にヘッドコーチとしてチームを牽引していたのがピッコリさんだったそうです。その後、ピッコリさんはボカジュニアーズへ移動。一方でCA Banfieldは調子を落とし、昨期はクレスポ監督を招聘してのシーズンだったようだが調子が奮わず、たった一度のリーグ制覇の立役者であるピッコリさんの元に再度ヘッドコーチのオファーが届いたそうです。

ちなみに、その一度のリーグ制覇の時には、育成組織(リザーブリーズ)にいたハメスロドリゲス選手をトップチームに引き上げ、活躍が見られたそうです。

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本題のこのチームの施設についてなのですが、広大な敷地を保有し、育成組織からトップチームまでの全てのカテゴリーの選手たちが同施設内にある8つのサッカーグラウンドを使用しているそうで、トップチームのグラウンドはその敷地の1番奥にありました。

この日はトップチームの選手たちの練習の様子も見学させていただきました。フィジカルメニュー中心に行った後、紅白戦をしていました。

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サッカーのみに限らず、施設の入り口付近には、一般市民用にテニスコートなどサッカー以外のスポーツ施設を設けており、多くの人が出入りしている様子が見受けられました。

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こちらがクラブハウスです。
クラブハウス内には、寮、ジム、食堂、ミーティングルームが設けられており、ロッカールームに入った自分を、トップレベルの選手たちは快く受け入れてくださいました。

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廊下には、過去に在籍していた選手たちのユニフォームも。

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また、育成組織の選手たちの中で特に優れている選手もここの寮で暮らすことができるとのことでした。寮を誰がいつどのように使っているかというところについては曖昧な情報しか手に入れることができなかったので、詳しくは言及しませんが、この一例のようにブラジル、アルゼンチンでは才能ある若手に対してのサポートが充実しているという話をよく耳にします。

少し話がそれますが、クラブハウスの脇には仮設の建物があり、そこには中国からの選手が寝泊りし、サッカー留学のようなものをしているそうでした。
ヨーロッパでも中国人のサッカー研修の受け入れを盛んにしているチームがあると聞きましたが、どんどん力を入れているのでしょうか。受け入れる側にしても新たなビジネスチャンスになるのでしょうが。

以上、CA Banfieldの練習、施設見学についてでした。
同チームにはオリンピック候補選手が三人所属しているらしく、そのうちの1人キーパーを務めるFacundo Cambeses選手と写真を撮ってもらいました。東京で再会できるかな?できないよな、、応援してます!

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Criciuma ECを訪問

アルゼンチンの前に滞在していたブラジルでは3部のCriciuma Esporte Clubeの施設と練習を見学させていただきました。

Criciumaというのはブラジル南東の小さな工業都市です。
このチームは以前は一部に属していたようですが、昨年二部からの降格を喫してしまい今期は三部のセリエCでのプレーとなるようです。

ここでも以前アビスパ福岡のスクールでフィジカルコーチをなさっていたマテウスさんにご案内していただきました。マテウスさんのお父さんはアビスパ福岡のチーフディレクターをお勤めになっていたという超お偉いさんだったそうです。

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マテウスさんですが、現在はPhysiology’s coachという役職で主に選手の健康状態を管理し、後のトレーニングの強度などを調整する役割を担っているようです。練習前にマテウスさんの近くにいさせてもらったのですが、多くの選手たちがマテウスさんにコミュニケーションをとりにきていたのが印象的でした。

練習解散後すぐに、マテウスさんに健康状態を報告する様子。

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トレーニングには15人ほどの多くのコーチやスタッフが帯同していました。

マテウスさんは特に、日本の育成年代の
・フィジカル面での指導、管理の薄さ
・練習時間の長さ
・日焼け止めを使わないこと

を問題点として指摘していました。
日焼け止めの話を目の前でされたときは、真っ黒に焼けた自分の肌も思わず青ざめてしまいました。

三部のチームではありますが、天然芝のピッチ6面と充実した練習環境がありました。こちらも同様に下部組織からトップチームまで各カテゴリ毎に使用するピッチが決められているそうです。クラブハウスも大きくその他充実した設備が整っていました。

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ここでも選手たちは明るく歓迎してくれました。南米で感じられるこの雰囲気が大好きです。
選手の一人Adenilson選手は練習後も一時間近く自分と会話をしてくれました。

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このチームを離れアトレティコパラナエンセへ移籍するReinaldo選手。

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u-20ブラジル代表に選出されているようです。
彼がビッグになった時にこの写真を自慢できると嬉しいです。自分より一個年下でした、すご。

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試合も見させてもらいました。
以前一部に所属していただけあり立派なスタジアムやグッズショップ。

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昨期このクラブでプレーしていたマイコン選手のポスターも。

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おわりに

1週間ほどで帰国となる自分の蹴球放浪ですが、「各国の育成環境の比較」、「強い国がなぜ強いのか、弱い国が何が足りていないのか」ということがテーマにありました。

自分の中で仮説として、
「育成環境の充実こそがその国のサッカー水準を高める。そしてそれを裏付けるための安定した経済基盤の存在が欠かせない。」
というものがありました。
これを考えた時に多くの強国がひしめく西ヨーロッパではこの仮説が当てはまるようにおもえました。
が、もう一つの強国がひしめく地域、南米が安定した経済基盤を持っているようには思えませんでした。

ブラジルはBRICSに含まれるように近年経済成長が著しいとは言いつつも、いまだに貧困問題もよく聞き、決して豊かな国という印象はありませんでした。サンパウロでは沢山のホームレスも見ました。アルゼンチン経済は冒頭に述べたような不安定さです。
こうしたことから、訪れるまでは自分の中で”南米の国々”と”充実したサッカー環境”という2つのことは、結びついていませんでした。
南米では例外的に「古くから培ってきたストリートサッカーの文化」が育成の秘密にあるのだろうとか考えていました。

結果から言うと、ストリートサッカーは一度も南米で見られなかったし、ブラジル、アルゼンチンのサッカー環境はとても充実しているように思えました。

東南アジアやアフリカの国々の歩いた時に街の中で見られた”余白”はブラジルやアルゼンチンの街の中ではあまり見られず、その代わりに街中にはきちんと整えられたサッカーコートがありました。

冒頭に述べたように、アルゼンチンでは
“経済は不安定”でありながらも、“どこよりも街中にサッカーコートが多かった”のです
このことからも見られるように、サッカーに関しては十分な環境が整備されており、才能ある選手を伸ばすサポートもなされていたのです。

まとめると、サッカーに関する経済は南米でも十分基盤が整っているように思われました。

国としては経済的に不安定ながらも、なぜサッカー環境はそこまで充実させることができるのか?

・アルゼンチンのクラブはオーナー(親会社)が存在しない公共のクラブだそう
・多くの南米のチームの歴史を辿るとヨーロッパ系移民によって作られていることが多い
・南米でプレーする選手の多くは、外国(特にヨーロッパ)への移籍願望が強いそうです。成熟した選手は外に出ていくとなると移籍ビジネスは運営における大切な要素になりそう

などなど、

南米のサッカー界の歴史や、サッカーをめぐる市場、お金の流れについては興味が一段と深まりました。

ボンボネーラでのスタジアム体験は、僕のサッカー観を揺るがしました。 


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またいつか戻ってきたいです。
今回お二方をご紹介してくださいました、アビスパ福岡の藤井潤さん。ピッコリさん、マテウスさんをはじめ、歓迎してくださったプロチームの関係者様、素敵な機会を用意してくださいましてありがとうございました!

最後までご覧いただきありがとうございました!