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江戸と明治とDX(その3:右か左か)

江戸と明治とDXということで、時代の変わり目におけるDXの考え方を記述しています。重要なことは「前か後か」でして、江戸か明治という例えで考えています。
前回の(その2)では「時代の前か後か」で優秀さの定義なども変わるので「上か下か」という考え方にこだわらないほうが良いという話をしました。

今回は都知事選も近いことですので「右か左か」を考えてみたいと思います。右(保守)、左(リベラル)ということになると思いますが、江戸(つまり前)の右・左か明治(つまり後)の右・左かということになります。
江戸の右が自民党で、左が立憲民主党といったところでしょうか。では「後」はというところですが、これは実は難しくて、この辺が「後」の流れになるのではないかと思っています。

維新が「後」の右でれいわが「後」の左ではと考えることもできますが、これらはまだ「前」(江戸)の流れを引きずっているように見えます。
どちらから見るかで正しいと思っていることも異なって見えてきます。明治(後)から見ると、江戸(前)の政治は滑稽というか「なんで」と見えます。例えば2024年の正月に能登で地震がありましたが復興も全然進んでいないのに、ブルーインパルスを飛ばすとか、東京都庁でプロジェクションマッピングを行うとか、どうしてそんな政策になるのかということがよく起きてきます。でも江戸にいる人から見たら、よく考えらえたいい政策だと思っているのかもしれません。
逆に江戸(前)から見ると明治(後)は眉をひそめるようなことをやるような人ばかりに見えるかもしれません。迷惑系ユーチューバーが選挙に立候補したり、つばさの党などの選挙妨害であったり。
江戸時代の人から見たら明治の人が洋服を着たり牛肉を食べたりするのは眉をひそめるような状況だったかもしれませんし、明治の人から江戸時代の人を見ると、参勤交代などは滑稽に映ったことでしょう。
このように2つの時代が共存している変わり目の時代に我々は生きていることを認識する必要があるかと思います。
「前」の政治は滑稽ですが、「後」の政治は眉をひそめるような状態です。「後」が政治に波及するにはまだしばらく時間がかかるのかもしれません。

今日はこの辺で。

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