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兄が障がい者になったことの意味。

兄・サトシは18才の時にいわゆる精神障がい者になった。

僕が17才のときの冬に兄は、障がい者になった。

その冬は何月何日だったか記憶がない。覚える気にならなかったのだろう。

当時、僕はかなり動揺した。動揺しないように平静を装いつつ。動揺した。

おそらく3学期が始まる前に兄は、発病したのだと思う。

僕の友達が「3学期になってからヤッシー(僕の高校時代のあだ名)は暗くなったなあ」とか「目がクルクル回すようになってるでー」(おそらく精神的動揺から無意識に癖が出現していたと思われる笑)と言われた記憶がある。

もう24年も前のことなので、記憶が定かではないが、兄が障がい者になった前と後ははっきりと覚えている。

高校生の僕が家に帰ると、母は、泣いていた。いろいろ泣いていた。

当時、受験生で理系クラスだった兄は、授業後友達と居残り勉強をしていたらしく、独り言が増え、見るからにおかしくなった兄を友人が保健室に連れて行ったのがはじまりだという。そこから学校から母親の職場に電話がかかってきたという。

帰宅後の僕がはっきりと覚えているのは、兄が自分のゴミ箱をあさり、ものがない、ない、ない、ない、ないと言っている姿。

僕は、「おいちょっと待って!よくわからない」状況がすぐにはのみこめなかった。あまりにショックだったためか、記憶喪失みたいになっていて、

印象としては、「小さいころから一緒にすごした僕のなかの快活で元気な兄はもういないだった」。

こんな言葉はよくないかもわからないが、小説の中で読んだことがあるくらいで、「発狂した」という言葉しか当てはまらない状態だった。

兄は、ゴミ箱をあさり、あれがないこれがないと泣き叫んでいる。どうやら何か大事な物が盗られて、それを一生懸命探しているようだった。それを観て、僕は呆然としていた。僕の中の兄が一気に崩れ去った。


その後、兄は統合失調症と診断された。


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*統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた。この病態の紹介は下記引用を参考にして頂きたい)。

統合失調症とは、思考や行動、感情を1つの目的に沿ってまとめていく能力、すなわち統合する能力が長期間にわたって低下し、その経過中にある種の幻覚、妄想、ひどくまとまりのない行動が見られる病態である。能力の低下は多くの場合、うつ病や引きこもり、適応障害などに見られるものと区別しにくいことがあり、確定診断は幻覚、妄想などの症状によって下される。幻覚、妄想は比較的薬物療法に反応するが、その後も、上記の能力低下を改善し社会復帰を促すために長期にわたる治療、支援が必要となる。
 ある目的に沿った、一貫した思考や行動をすることは、実は健常者でもあまりできないことがある。とりわけ疲労、ストレス、不安、身体疾患の時などには、こうした統合機能は動揺しやすい。そうした不安定な状態が長引いて経過中に幻覚や妄想が出現し、その鎮静化のために投薬を必要とし、再適応のために心理社会的なリハビリテーションを要する状態が、統合失調症である。確定診断のためには、下記に述べるように幻覚や妄想などの重い状態を手がかりにすることが多い。しかし実際の治療においては、そうした急性状態の続くことはむしろ少ない。多くの患者は、健常者でも経験し得る統合失調という状態のなかで、社会復帰のための努力をしているのが現状である。
 統合失調という症状によって最も影響されるのは、対人関係である。複数の人間の話し合う内容が、いったい何を目指しているのか、その場の流れがどうなっているのか、自分はどう振る舞ったらよいのか、ということが分かりにくい。そのために、きちんとした応対ができなかったり、時に的はずれな言動をしたり、後になってひどく疲れたりすることがある。また、ある一連の行動を、自然に、順序立てて行うことが苦手となる。着替えをする時の順番を忘れたり、料理が得意であった人が、その手順を思い出せなくなったりする。
 この病気の原因は十分明らかにされておらず、単一の疾患であることにさえ疑いが向けられている。
しかしながら、何らかの遺伝的な脆弱性と環境的な負荷、とくに対人的な緊張が重なって発病に至ることは、ほぼ認められている。とくに再発に関する研究では、家族のなかで、人を批判するような内容を強い口調で言い合うことが、患者の緊張を高め、再発率を上げることが知られている。ただし、親の育て方が悪かったというようなあまりにも単純な説明は、今日では受け入れられない。好発年齢は思春期から20歳代半ばであるが、それ以降の発症も多い。一生の間にこの疾患になる率は、諸外国でも日本でも約1%である。*公益社団法人日本精神神経学会HP「統合失調症とは」https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=59
厚生労働省による調査では、ある1日に統合失調症あるいはそれに近い診断名で日本の医療機関を受診している患者数が25.3万人で(入院18.7万人、外来6.6万人)、そこから推計した受診中の患者数は79.5万人とされています(2008年患者調査)。受診していない方も含めて、統合失調症がどのくらいの数に上るかについては、とくに日本では十分な調査がありません。世界各国からの報告をまとめると、生涯のうちに統合失調症にかかるのは人口の0.7%(0.3~2.0%;生涯罹患率)、ある一時点で統合失調症にかかっているのは人口の0.46%(0.19~1.0%;時点有病率)、1年間の新たな発症が人口10万人あたり15人(8~40人)とされています。発症は、思春期から青年期という10歳代後半から30歳代が多い病気です。中学生以下の発症は少なく、40歳以降にも減っていき、10歳代後半から20歳代にピークがあります。
発症の頻度に大きな男女差はないとされてきましたが、診断基準に基づいて狭く診断した最近の報告では、男:女=1.4:1で男性に多いとされています。男性よりも女性の発症年齢は遅めです。*厚生労働省HPより https://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_into.html

そこから24年の歳月がたった。24年である。

兄が一瞬にして精神障がい者になった1年後、僕が19才のときにフィルム一眼レフを買って、写真を撮り出したのは、兄が精神障がい者となった影響が大きい。当時の僕のノートには、「兄はなぜ病気になったのか。真実が知りたい。一瞬にして(兄が)変わった事実を知りたい」と書いている。

兄が精神障がい者であるということをここに書いている今も、書くべきかためらっている。めちゃくちゃためらっている。

兄が精神障がい者になった瞬間を書くのか。書いてどうなる。家族の不幸を書き連ねることが、書いてどうなる。障がい者になることが不幸なのか。書いてどうなる。もしかすると僕の仕事の依頼も減るかもしれない。

兄がどう思うのだろう。

葛藤がすごい。すごい。

noteのアカウントをつくって、5年ぐらいはアカウントをつくって放置して、兄の障がいのことを書こうかかくまいか迷ってきた。世間にどう思われるかわからないから。障がい者のことが語られることが少なく感じていたから誤解を受けやすいと勝手に思っていたからだ。仕事が減るのではないか。理解されるのだろうか。結局、障がい者の兄がいて、自分が悪くみられると思ってないか。結局自分がかわいいだけやん。

理解してもらえるようになんもしてないやん。

そして、今こうして書いているのは、兄が精神障がい者という事実にこころに蓋をするよりも、開け放って、いわゆる障がい者のご家族と繋がりたいと思ったから。

情報や想いを共有したいと思ったから。

そして、まったく精神障がいについて接点のない人にもあわよくば、知って欲しいと思ってから。

だから、書く。

兄と僕と家族のことを通して家族のこと、障がいのこととその「いろいろ」を一緒に考えていきたい。

兄サトシは、障がい者だ。でも兄は兄だ。

小さい頃一緒にいっぱい遊んだ兄だ。頼りにしていた兄だ。小さいころの記憶には、喧嘩した記憶がない。

やさしいやさしい兄だった。

過去形になるのは、僕の記憶の中にある兄と今の兄が違うと思っているので「だった」になっている。事実今も、兄はやさしいのだ。僕が勝手に障がい者になった、変わってしまったと思い込んでいるだけで

やさしいことは全くかわらない。

小さい僕ら

(   左から二人目が、サトシ。右端はヤスシ。この写真の提供は、左端の幼なじみてるくん。)

兄が6年前に入院したとき。

「写真とらへんの?」って初めてサトシから言ってきた。

写真を撮ることは「愛してるよ」って言ってるみたいなもんで、このときこころが通じたと思った。この写真から何かが始まったんだ。

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来年は、兄サトシの精神障がい者25周年。周年パーティぐらいできるぐらいな感じがいいな。

つづく。

サポートいただけたら、「サトシとヤスシ」写真展の準備や取材の費用に使う予定です。