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感性はどうやって磨く❓

明らかな社交辞令や商売口上を真に受け喜ぶ人がいる一方、私のように中指を立てる者もいる。

だが勿論、完璧に社交辞令を見分ける技術が自身にあるとは思わない。

たとえば営業マンAが上司に『あのような場面では○○と言うのが本当で、優しさだ』と言われ、優しさを与える為に優しさから後日実行したとする。客を喜ばせるのも、会社の利益やイメージ向上に貢献するのも優しさに端を発していたら。

ふーむ……

ともかく、私自身が正直になるのがイチバンの近道だと思う。つまり普段の思考・言動・文章に対し、限りなくウソをつかない姿勢。この地道な繰り返しの中で『ウソくさい言動』を察知する能力を磨くしかない。

私の場合『そうせざるを得ない』
なぜなら自分の思考に他人の(一連の/パッケージ化された)思考が紛れていると鬱陶しくて鬱陶しくて仕方ないからだ。力技で相手に迎合させ、支配的な物言いをしてくる人が存在するから。

言い換えると、社交辞令を使う人に対し『既に支配されている』という印象を抱くのだ。
『そうしないといけないと思い込まされている』と同義でもあるな。
社会の一員である事実は動かし難いが、どこまでも適用するのは納得できない。

友人の一人に、取り敢えず相手を褒めときゃいいか――のような考えの奴がいる。だが私のように褒められると妙にイライラする人種も存在すると認識すべきで、この場を借りて言わせてもらう。

お前ふざけんな

なぜイライラするか❓
これは簡単で、私が自身を『至らぬ人間』だと自覚しつつ積極的に自身を卑下するワケでもないというややこしい奴だからだ。加えて、全てを反面教師にする終わった人間性も備えているからだ。

つまり私と対峙した時点で終わってるのだ……

🔔『恥ずかしくないのか……』

がんばる。

この道は、敵を多く作る。
どんな環境に身を置いたって目をつけられ攻撃される。だが居心地の悪いウソをつくより10000倍マシなんだ。ウソを重ねて認識が濁るのは、精神の死を意味し、やがて肉体も腐る。

これほど慎重に扱わねばならない事を、人々は平気で軽視する。なぜなら『意味が既にある程度定まってて恐らくこの先も形骸化しないであろう社交辞令じみた言葉の数々』は手っ取り早いから。サッと伝える事ができるから。

つまり余裕のない社会自体への恨みでもある。



【感性を磨きたい】という思いは、極めて利己的である。あるからこそ、舵取りを間違えちゃいけない。

学校では諍いが起きると『ごめんね』▶︎『いいよ』を持ち出し教える。仮にこの両者が本心からそう思っていても、これらの言葉には既に意味用法があり、乗っかってるだけ。

【謝る意味のある言葉を用い、実際に謝ったのだからそれでいいんじゃないか】

……なんて思うだろう。

なんかムカつくんだよなぁ

🎀『ふーむ……❓』

子どもってのは……いや、私は言葉で表現できなくて歯痒い思いをたくさんしてきた。対処方法も分からないから、モヤモヤを抱えたまま放置してきた。
確かに大人が『ふさわしい言葉』を教えれば一旦は収まるだろうが――

これこそが
大きな大きな罠ではなかろうか

大人や他人の提示する言葉を使った瞬間、何かが失われてしまう。感性が鈍化する。私は小学生の頃、自分で作った造語を言いまくるのが楽しくて楽しくて仕方なかった。

なぜ【秘密基地】がワクワクするか?
そんなの『自分だけの特別感』のおかげに決まってる。

じゃあ、なぜ。
この感覚を日常のほとんどを占める【言葉】にも適用してやらないのか。

なぜだ人間
なぜなんだ

私がよく使う言葉を不躾なタイミングで出す人もいる。違う、お前は間違ってる。
そんな『仲間の証明の為の記号』みたいな意味で使うんじゃない。汚れる。楽しくて、自由なあの感覚に泥を塗るんじゃない。

人生の礎である【言葉】を腐らせる……申し訳ないと思わないのか。

虹の下に宝物が埋まっているか?
そんなの私は知らない。
だからせめて、私が虹を作るんだ。
永遠に手に入らない宝物に思いを馳せる為に。

おみゅりこ。名言集外伝より



言葉に対し【見いだす/汲み取る】のが下手な人も多いんじゃなかろうか。
だから『誰が言ったか』を重視してしまう。

【コトバニハイミガアル(だから意味を知る)】

ではなく

【ワタシガイミヲミイダス(なので好きに喋ったり書いたりしろ)】

的な?

なら社交辞令にも見いだしをしろって❓

……う〜ん、残念。
やり方がわからない。コンビニ弁当って元の材料の状態に戻せるのか?

ニワトリは、生きているから鳴くんだよ。

🎀『その心は?』

なんかあの……アレだよなんか……

(なんだろう……)

すまん……忘れてくれ……

🎀『社交辞令は調理済みチキンで、ニワトリは可能性がなんかアレのコレの……』

……多分そう。

かくして、人々は偉人の言葉ばかりを求めた。

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