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【ていねい】に生きよう つまり両足を1㍉ずつ動かして前進しようね(๑•ૅㅁ•๑)

粗暴だが優しいってのは創作上の野獣やゴリラでしか通用しない概念だ。

現実を舞台に考えてみようぜ。
こんな人物がいたとします。

朝起きるやいなや、『クソったれ❗️』と叫び壁に穴をあけ、ブツクサ文句を言いながら着替えを行い、水を勢いよく飲み干しコップを机に力強く叩きつけ割り、トーストへマーガリンを丸ごと投入。しかも残し、シンクへ放り投げ、ドンドンと不快な足音を撒き散らしながら窓を開け、『今日もいい天気だなぁ⁉️』と感嘆し、テレビのリモコンが効きづらいので勿論破壊し、新聞配達員が遅いので殴りつけ、更に追い討ちで激烈なエルボーをかまし、『大丈夫か⁉️』と心配し、罪の意識から部屋の隅にいたゴミムシを外へ逃し贖罪を試み、満足したので玄関ドアー蹴破り出社する。

あなたは思った。

『ま、まあ、素の部分は優しい、そう、本来的には性善的で、優しいヒトなの……』

んなワケあるかい❗️❗️

はいはい、はい。
落ち着いたよ☕️
その行動により、人を不安にさせてる時点で優しさのカケラもないです。何らかのグループ、最小単位が家族だとして、やっぱなぁ……

どうしてもいるんだよ、自分の存在そのもので威圧しているようなヤツが。

ヤツらの心理は私の想像力を持ってしても分からない。威厳? メンツ? ボス猿?
生命の仕組みなの? グループ化したらもれなくボスが現れるって。避けられんの❓

とにかく、まずは日常の『言動』から洗いざらい、改める必要があると思うんだ。
タイトルの『ていねい』がキーワードだな。
いるだろ? 常に何かに追われてるみたいに落ち着きのないヤツが。イヤだよな。

昔の日本人女性が淑やかだとされていたのは、やはり着物にあり――と思っている。人間は元々がアレなので、自由さを与えすぎると粗暴限りなく邁進。ぺんぺん草も道を譲るぜ。茶色い枯れ草レッドカーペットの上を進むのは快適かい? 『何』で成り立ってんだろうな、そのカーペット。
裸の王様『今日もいい天気だなぁ⁉️』

以前私は『辛いのに無理矢理笑顔つくってもやっぱ辛い』みたいな事を書いたが、完全にそう言い切れないとも思っている。

『日常動作をていねい』に行うことで、たとえ粗暴な人(もう全人類でいっか)といえど、多少は心持ちが変わってくると思うんだ。

粗暴人類にとって、『ていねい』は我慢、不愉快、制限、枷、抑圧……色んな意味となるだろう。だからこそ成長すんだよ。学校教員の立場が弱くなって、ガキの態度がどうなったか。よくわかんだろ。
昭和みたいにな、厳しくも優しく見守る大人がいないってのは不幸だよ。地域性が失われて野放しになったガキを嫌いつつも憂うよ私は。


そのような自覚をしつつ、あなたたちはどうするか?
まあ、答えは既に書いてあるが。

粗暴や乱暴は
誰も望んでないので
(一部の依存的体質の人を除く)
今日からやめよう
簡単だ
全てを慈しみ
素朴でいれば
自然とそうなるから



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